今年も要介護4

先週の土曜日は娘と初孫君を連れて夫に会いに行った。

前回夫に初孫君を見せた時はあまりにも小さすぎたのか、夫は人の子と認識することができなかった。

今は5キロになったから、赤ちゃんだとわかって喜んでくれるかもしれない。

そんな淡い期待を抱いて夫に初孫君を見せたのだが

「お父さん、○っちゃんの子供、あなたの孫だよ。」

「だから、それは○×▽で、・・・」

今回もちょっと残念な反応であった。

その代わりに4名のスタッフさんが初孫君を見に来て、代わる代わる抱っこしながら

「わー笑った!可愛い。」

「きれいな目をしているねえ。」

「いいなあ○○さん、こんな立派なお孫さんができて。」

と夫の代わりに初孫君と娘のことをいっぱい褒めて下さった。

びっくりしたのはYさんとSさんのお孫さんが大学生と小学生でいらっしゃること。

お二人とも若々しくて、とてもそんなに大きなお孫さんがいる年齢には見えない。

娘がスタッフさんの子育ての体験談をうかがっていると、夫も時々話の輪に加わって

「それは○×ですよ。」とうれしそうに口をはさむ。

 初孫君に対する反応はイマイチだったが、スタッフさんと楽しく話しができたので連れてきて良かった。


 今週末には半年に一度の担当者会議があり、ケアマネージャーと看護師、ケアスタッフのIさんに

 夫の最近の状況を詳しくうかがった。

 先月受け取った介護認定の結果は、前回と同じ要介護4。

 若年性認知症の要介護判定4がどのような症状なのか、夫の事例を紹介しておこう。

1.歩行は現在もほぼ問題なし。

 先日中華街の遠足に出かけた時も、張り切って随分沢山歩いたそうだ。
 
 といっても、階段の上り下りの前に足がすくむことや、時々つまずくことがあるので、

 屋外での歩行はかならず介助をつけている。

2. トイレはほとんど失敗なし、普通のパンツを着用。

  これはプロのスタッフさんが常に夫の状態を見守って、絶妙なタイミングでトイレに誘導して下さるからだと思う。

  夜中も何回かトイレに連れて行って下さっている。自発的にトイレに行くこともあるそうだ。

3.服の着替え、歯磨き、洗顔、入浴、服薬は全てスタッフさんの介助が必要。

  いつ会いに行っても、ひげも爪もきれいで清潔な服を着ているのは、スタッフさんのおかげだ。

  歯科検診も頻繁にあり歯は全く問題ない。健康状態も頭以外はほぼ問題ない。

4.家族を認識できない。

  いつ私の顔を見てもきょとんとした顔をしている。

  一緒に散歩をしていると、何度も私の存在に気づいて「どうも。」と初対面のあいさつをする。

  とてもなつかしそうな顔をして私をみる時もあり、やっと私を身内だと思い出してくれたのかと感激すると、

  通りすがりの通行人の顔に対しても同じように懐かしそうな顔をしているのでがっかり。
  
  血縁関係にこだわらず全ての人を平等に扱う博愛主義者となった。

 5.言語能力の減退ーー会話の内容がほぼ意味不明、言葉による意思疎通をすることが困難に。
 
 「座って下さい」「ご飯を食べて下さい。」「靴を脱いで下さい」といった指示を理解できない。

 以前は「○○先生」「ラッキー」等好きな人の名前や場所を話題に挙げると、喜んでその話をし始めたが、

  次第にそういう彼を元気にさせるサプリメント効果がある言葉が減って、今はほぼなくなってしまった。

  その代わりに、こちらのことばをオウム返しに言ったり、「ポンポンダンダン」といった擬声語を発して

  一人で言葉遊びをする様になった。

  歌は好きでどんな歌でもまねをしてよく歌う。

 6.食事介助が必要に。 

  夏から声かけをしつつ食物を口まで運んで食べさせる介助をしている。

  食事をみても、それが食べ物と認識出来ないようだ。

  美味しいものを口に入れると、美味しく感じて自ら食べ始めるが、しばらくすると美味しいものを食べている

   ことを忘れて再びぼうっとしてしまう。

  一時期アリセプトを服用したら自分でご飯を食べられるようになったが、不穏行動が見られたので、

  服用をやめたら、また食事介助が必要な状態に戻ってしまった。

 7. 視野が狭くなる。
  
 夫は認知症になってから犬や子供が大好きになり、散歩中に子供に出会うと積極的に話しかけていたが、

 最近は犬や子供が通り過ぎても知らんぷり。

 どうやら、彼の視野が狭くなって、犬や子供など小さいものが視界に入らなくなってしまったようだ。

 本当に見てもらいたいものは、彼の目の前に置いてゆっくり時間をかけて見てもらうようにしている。
 
  以上の現状にもとづき、認定員は 「身体能力はあるが、認知症が進み常時の見守りや介護が必要な状態」

 と判断して要介護4の認定を下したのだと思う。


 私自身は今の状態の夫に対して、口では言い表せない「違和感」や「とまどい」を感じている。

 気がついたら私と全く違う世界に行きついてしまった。

 たとえ一緒に散歩をして同じ場の空気を吸っていても、彼はその狭まった視野で私と違った世界をみて、

 私と異なる思いを抱いているのだろう。

 彼は自分が今どんな世界で生きているのかをうまく言葉で伝えることが出来ない。

  「これはとってもすごいから良いんだ。」

  「でも、あそこがこうだから困っているんだけれど。」

 今の彼がのべる意味不明な会話は、おそらく以前のような過去の記憶の断片を紡いだものではなく、

 現在彼が生きる茫洋とした世界のなかで感じた喜びやとまどいを精一杯述べようとしているのだと思う。

 こんなにも私たちと異なる世界にたどり着いてしまった夫に対して、私たち家族の生活の変化や過去の思い出

 を伝えて少しでも喜んだりなつかしがってもらおうと期待することが、今の彼にとってどの位意味があるのだろうか。

 ーーーそれが今の私が漠然と抱いている「違和感」の中身である。

 それと同時に、全くの別人になってしまった夫に違和感を抱くことにとまどいを感じ、

 夫に対する違和感を完全に受け入れたくない気持ちがいまだにある。

 それは、夫の外見や声やしぐさが以前とさほど変わっていないからかもしれない。

 たとえ話している内容がめちゃくちゃであっても、昔と同じ落ち着いた声の調子で話しかけられると、

 「もしかしたら彼はちゃんと考えた上でこんなことを言っているのかもしれない。」

 「彼は私や周囲を醒めた目で見ていることを伝えたくて、敢えてこんな難解な寓話を話しているのかもしれない。」

 とつい意味のない深読みをしてしまうのだ。

 面白いことに、娘も私と同じようなことを考えているらしい。
 
 先週ホームから帰宅した後、スマホで写した夫と初孫君の写真を彼女のラインに送った。

 娘は写真をみながらこんなことをいった。

 「お父さんも○○君も笑っていて、いい写真だね。

あーあ、もしもお父さんが元気だったらきっと○○君の誕生をすごく喜んでくれたと思う。

 本当に残念。

 ねえ、この写真をみるとお父さん全然病気に見えない。

 もしかして本当は病気じゃなくて病気のふりをしているだけかもしれないよ。」

 別人になってしまった夫や父親に強烈な違和感を抱きつつ、家族が別人になってしまった事実にいつまでも

 とまどいを感じ、あげくのはてに「本当は病気ではないかも」という妄想まで抱いてしまう。

 「やっぱり、こうはなって欲しくなかった。」

 これが若年性認知症患者の家族の一番の本音なのであろう。
 
 最近の私は有名な中国の「胡蝶の夢」の話を時々思い返している。
 
 昔、荘子が、蝶となった夢を見て、目覚めたのち自分が夢のなかで胡蝶に変身したのか、

 胡蝶がいま夢のなかで自分になっているのかと疑ったという幻想的な寓話である。

 夫が今のような状態になってしまったことは、私にとっては夫が蝶になってしまうと同じくらいに未だに信じられない。

 ある朝起きたら、夫が隣のベットで寝ている。そして目が覚めた夫に

 「あなたが若年性認知症になって私のことがわからなくなってしまう長い夢をみたよ。」

 と報告して二人で大笑いすることになればよいのに。

 発病して9年たった今になっても彼が病気になったことを完全に受け入れることができない、情けない私である。

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ジャンル : 心と身体

歎異抄

先週の夫は珍しく立て続けに行事があった。

火曜日は高校時代の悪友三人が会いに来てくれた。

木曜日は施設の皆さんと一緒に横浜の中華街に遠足。

金曜には運動会もあった。

悪友とスタッフさんは私を安心させるために、彼の部屋に置いている連絡ノートに当日の様子をちゃんと書き記してくれた
 
○○さん
 今日はね、ぼくらは少しお散歩して一緒に歌を合唱しましたヨ♪
 ユーミンとババンババンバンバンのドリフの「いい湯だなぁ」
 良い感じでした。
 また来るね!  写真送るね  
        いい湯だな 夫の顔のイラスト付き


 山下公園と中華街に遠足に行って参りました。
 お天気に恵まれ散策するには暑い位でした。
 お食事もしっかり召し上がり、山下公園ではアイスを食べながら休憩しました。
 行き帰りの車中ではみんなで歌を歌いながら○○さんがケラケラと笑う姿がとても印象的でうれしかったです。

 部屋の壁にはスタッフさんが撮って下さったアラ還四人組の笑顔の写真が飾ってあった。
 
写真の下に「高校時代の友人と ババンババンバンバン♪」 という添え書きがあったということは、

スタッフさんも夫の部屋でみんなと一緒に歌ったのかな。

 遠足の車中で何の歌をきいて笑ったのか随行したスタッフさんにうかがったら、

お年寄りが「トントントンカラリンと隣組」の歌を歌ったら急に大笑いしたそうだ。

そういえば最近、会話中に言葉でない「ポピポピポー、ウードンドンドン」といった擬声語を突然発することがある。

あるいは今の彼の脳は「ババンバン」とか「トントンカラリン」といった軽妙な語感に良く反応するのかもしれない。

スタッフさんが服装にも気を使って下さったおかげで、アラ還四人の中では夫が一番若々しく見えた(笑)。

 こうして、いかにも充実した秋の日々を過ごしているように書いてみたが、

それでは「今の彼が幸せなのか。」と問われたら、やっぱり「幸せではない」と答えたい。

今の彼は自分を幸せと認知する能力すらない。

そんな彼を「幸せだ」と一方的に決めつけるのは、私や周囲が彼のために努力しているから幸せなはずと

思い込んで自己肯定感を得ようとする、傲慢な行為だと思う。

もしも今の彼に自分を認知する能力が残っていたら、残された能力をふりしぼって

「うるさい!俺が本当にやりたいことはこんなことではない。おれを馬鹿にするな。」

と周囲の者に悪口雑言を浴びせつつ、そのおのれの醜い行為を責めて壁に頭を激しく打ち付けるのかもしれない。

かつての不穏状態に陥った時の夫はあまりにも凄惨だったので、二度と見たくないが、

それでも今の彼よりもまだ「彼らしさ」が残っていたと思う。

最近なぜか、たとえ不穏状態でも良いから、本当の「彼らしさ」にもう一度触れ合いたいと思う時がある。
 
そういう時はかつての彼を求めて、彼の過去の手帳をそっとのぞいてみる。

2007年の手帳の余白に記されていた、いかにも彼らしい文章を少しだけ紹介してみたい。
 
 

  日記というものは自分で読むために書くことはいささかも問題はないが、

  残ってしまった時に他人に読まれるのは嫌だ。(ごめんなさいー私)

  ならば死ぬ前に、或いは遺言で、絶対読んだりせず焼却するようにしておけば安心できるかというものでもない。

  時折心の中のもやもやを書きなぐりたくなる衝動がある。

  それで書いていくうちに気分が晴れるかというと、そんなことはなくて、今度は書いたものを破棄したくなる。

  実際にそうしたこともあるけれど、日記だと破った後が明白であるし、そのままうっちゃって忘れてしまうか、

  どうしても気になるときは、破るわけにはいかないから読めないように消去線で消そうとするけれど、

  読み直してみると、当時のことが色々思い出されたりして躊躇することになってしまうのである。

  読まれて他人に迷惑が及ぶようなことは書いていないから、その点はもっと気楽になっても良いかとも思うが、

  それでも他人にはあまり見せられない内容というのは、つまり平生見られたくない、
  
  知られたくないような行動をしているからなのだろう。 



  彼は自分の心の中にもやもやした思いが生じること自体に罪悪感を覚えるような、

 繊細な心の持ち主だったのだと思う。

 そんな彼が自分の感情をコントロールできなくなる病を患ってしまった。

 しかも人に知られたくない自分の心のもやもやを本人が知らない間に家族に激しくぶつけていたという事実を知った時に、

 想像を絶するほどの絶望感を味わったに違いない。
 
 そんな彼の絶望感を十分理解する心の余裕がもてなかったことを今とても悔いている。

 最近親鸞の教えを弟子が説いた『歎異抄』を読む機会があった。

 有名な悪人正機説について、五木寛之さんは次のように解釈している。
 

  山に獣を追い、海川に魚を取ることを業が深いという者がいるが、草木国土の命を奪う農も業であり、

  商いもまた業である。敵を倒すことを職とするものは言うまでもない。

  すなわちこの世の生きるものはことごとく深い業を背負っている。
 
  私たちはすべて悪人なのだ。そう思えば我が身の悪を自覚し嘆き、他力の光に帰依する人々こそ、

  仏に真っ先に救われなければならない対象であることがわかってくるだろう。
 
  おのれの悪に気づかぬ高慢な善人でさえも往生できるのだから、まして悪人は、

  とあえて言うのは、そのような意味である。



 もしかして、当時の彼にこの歎異抄の一節を教えてあげれば、彼の気持ちは少し穏やかになったかもしれない。

 遅かれ早かれ結局今のような症状に行きつくのであったら、

 いっそのこと行きたがらない病院に無理やり連れて行くのをやめても良かった。

 そのかわりに、もっと彼のもやもやした気持ちを時間をかけてきちんときいて下さる方がいる

 彼の心の避難所を真剣に見つければよかったと思う。
 
 全てはもう終わってしまったことである。

 もう二度と彼が自分の幸せを感じることもないと思うが、せめて今でもかつての彼の存在を

 宝物のように大切に思い返している人がいることを知ってもらえれば良いなあと思う今日この頃である。

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ジャンル : 心と身体

記憶の断捨離

夫が若年性認知症と判断されてから9年目、今は要介護4となった。

昔のブログを時々読み返すと、

「あの頃は随分いろいろなことができたんだな。」

と夫の病状が着実に進行していることを改めて思い知らされる。

あの時にもっとお互いの気持ちを話しておけばよかったと今さら後悔しても後の祭り。

そういえば介護の先輩のmomoさんやnobiさんからもそういうアドバイスをいただいたっけ。

家族の認知症と向き合うのは夫が三人目になる。

最初が父で二番目が義母、そして夫。それから義父が四人目の認知症の家族になった。

4人とも、秋に落ち葉が舞い落ちるように少しずつ記憶が消えて行った。

いや「消えた」はあまり正確な表現でないかもしれない。

脳に保存されている記憶のファイルから必要なデータを引き出す機能が衰えていったというイメージかな。

認知症になって他人の話に応じたデータがあるファイルを探すことができなくなると、

苦肉の策として、記憶のファイルを本人にとって大切でないものから順に断捨離していくように感じる。

手持ちの記憶ファイルがだんだん少なくなっていっても、話す量は変わらない。

だから同じ話がエンドレスに繰り返されるのであろう。

面白いことは、何のファイルから断捨離をするのか、その順番が人によって大きく異なる点だ。

夫の場合はというと。

まず数字や経済関係のファイルがばっさりと捨てられた。

もとからお金に無頓着な人で、自分の収入、資産運用、保険、友人に貸した金額全般について興味がなかった。

お金の話はいくら説明しても左から右へと聞き流す技を身につけていた。

もしかしたら認知症になる前から株や保険のしくみについて理解していなかったのかもしれない。

この件に関しては、心の狭い私は今でも思い出すと結構腹が立つのでこの辺にしておきましょうか・・。

次にはなんと家族関係のファイルを手放してしまった。

夫は認知症になってから自分の両親について一度も自ら話題にしていない。

娘が産まれてきた息子を自分の命より愛しい宝物のように大切にしている光景を見たばかりなので、

「親を忘れるなんて冷たいんじゃない。」と思ったりもするが、それが現実なので仕方がない。

世の母親は子供への愛は報われないと覚悟して子育てに励んだほうがよさそうである。

きっとこれは彼のご両親が上手に子離れされたからなのだ。私も大いに見習おうと思う。

とはいえ私や娘に関する話が途中から一切なくなったのはいささか寂しい。

今の彼はアリセプト2.5mgの効果で食事の存在を再び認識できるようになったが、

私や娘については相変わらず全く認識してくれない。

それでは彼が今も大切に使っている最終ファイルにはどんなデータが残されているのだろうか。

--圧倒的に多いのは何といっても先生に関するおぼろげな記憶である。

先生にほめられたこと、しかられたこと、先生に任されたこと

・・そんなことが人生に課せられた宿題として捨てられずに残っているのだろう。

恐るべし師弟愛なり。

それでは義母はというと。

義母が残した最終ファイルには家族のデータが詰め込まれていた。

義母は夫より認知症が進んでいたが、それでも私が娘を連れて訪ねていくとすぐに孫とわかって喜んで、必ず

「○○ちゃんはいくつになった?」

と孫娘に年齢をたずね、年齢を言うと

「まあ大変、お嫁にいかなくては。」

という会話をエンドレスに繰り返した。

娘の結婚式には義母の写真をもっていったから安心してくれたかな?

犬猿の仲だった同居していた姑についても

「いろいろあったけれど最近すごく会いたいの。今おばあちゃんはどこにいるの。」

と懐かしむなんて、義母様、あなたは本当に心がきれいな人でした。

こうして考えてみると、もしかしたら人間は一番気がかりだったことを最後まで断捨離せずに残しておくのかもしれない。

我が家は幸いにもお金や家族関係では苦労しなかった。

借金や不倫地獄、家庭内暴力、ひきこもり・・そんな悔いが残る出来事がなかったから

「まあこれは残しておかなくても良いか。」と家族のデータはあっさり処分しちゃったのかな。

我が家が円満であった証拠だと思うことにしよう。

最近、自分が将来認知症になったら最後にどんなファイルが残されるだろうかとふと思うことがある。

今自分が一番気にしているのやっぱり夫のことだ。

案外夫のことをエンドレスに人に語ってうんざりされてしまうのかもしれない。

それってなんだかすっごくくやしいなあーー。

ホームの近くの用水路で見かけた彼岸花です。秋ですね

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ジャンル : 心と身体

一工夫

夫の御世話になっているSホームから毎月手紙をいただく。

一か月の行事報告と利用料明細、来月の行事予定等が主な内容だが、

今月はそれ以外に夫の担当のIさんの手紙がはいっていた。

Iさんはまるでペン習字の見本のようなきれいな字で、最近の夫についてこう書いて下さった。
  
  ●●様
  
  風の中に秋を少しずつ感じるようになりました。
  
  お散歩に出かけますと、ご自分の先生のお話しや同僚、後輩の方のお話を
 
  笑顔で語っています。

  これからも季節を感じながら沢山のお話をうかがいたいと思います。
  
 Iさんは夫とお散歩に行ってくれるんだ。
 
 夫はIさんにも私と同じ話をしているんだ(笑)

 さっそくこの手紙を娘たちにラインで見せると、彼女たちも

 「とっても素敵な手紙だね。」

 と喜んでくれた。

 Sホームには素敵なスタッフさんがたくさんいらっしゃる。

 夫が怪獣君(初孫)と一緒にいる写真をあるスタッフさんにラインで送ったら

 「おめでとうございます!お孫さんの名前を教えてください。」

 というので名前を伝えた。

 その週の土曜日に夫の部屋を訪れると、早速壁に夫と怪獣君のツーショットの写真が。

 写真が貼られた紙には夏や赤ちゃんをイメージしたイラストと

 「2017年8月17日 初孫の○○君と」というメッセージが添えられていた。

 お礼を言ったら、

 「○○さんが時々お孫さんたちの顔や自宅の写真を見て少しでも何か感じてくれたらと思い作りました。

 喜んでいただき何よりです。」

 という返事をいただいた。

 最近物事のすべてに競争原理が取り入れられた大競争社会に自分もまきこまれているように感じて、

 憂鬱になる時がある。

 そんな時に夫の施設に行くと、そこには競争原理から超越したゆったりとした空間が存在している。

 夫の澄んだ笑顔とスタッフさんのやさしい気配りにとてもいやされる。

 介護の仕事は大変だ、同じ話を繰り返す老人を相手にしながら下の世話もしなくてはいけない。

 そんな過酷な現場で働きながらも、どうやったら離れて暮らす家族に安心してもらえるかを考えて、

 マニュアルで決められた仕事以外のもう一工夫をして下さる。

 人間関係がギスギスしていなくて、スタッフさんにもう一工夫しようと思える気持ちのゆとりがあるから、

 入居者も安心して毎日を過ごすことが出来るのだろう。

 私もこれからスタッフの皆さんを見習って、いつもの仕事にもう一工夫してみよう

テーマ : 幸せに生きる
ジャンル : 心と身体

さじ加減

火曜日は久しぶりに夫の主治医の診察に同行することができた。

最近の夫は、ブログに書くネタがなくて困ってしまうぐらい施設で穏やかな毎日を送っている。

それでも毎週会うごとに病気が少しずつ進行していることを感じる瞬間がある。

歩きながら指を口の中につっこんでペロペロなめまわすようになった。

おじさんの指しゃぶりの光景はあまりよそ様には見ていただきなくない。

「みっともないからやめましょうね。」

といってやめさせたいところだが、わかってもらえるはずがない。

「ご機嫌だから良いか。」と妥協して、指しゃぶりの旦那様と仲睦まじく散歩を楽しんでいる。

段差がある階段を下りるのをいやがり、突然階段にペタンと腰かけてしまうことがある。

一見普通の中年男性がいきなり階段で立ち止まりしゃがみ込む・・・

これも、よそ様にとっては気がかりな光景だろう。

まあ、これらは「残念だけど仕方がないか。」と思える程度の病状の変化だ。

しかし、一人でご飯を食べられなくなったことは、介護スタッフの負担の増大につながる深刻な変化といえる。

ご飯が目の前にあっても,お箸を自分で持って口に運ぼうとしない。

きっと夫の視覚が「ご飯だよ。」と脳に働きかけても、肝心の脳がぼうっとしていて

「じゃあ食べよう。ほらお箸をもって」と手に指令するのを怠けているのだろう。

仕方がなくお箸を夫の手に握らして何とかご飯を運んで食べさせてみるが、

困ったことに夫は「食事中の立ち歩き」の常習犯でもある。

完食への道はかなり険しい。

「どうやったら食べてくれるのでしょうか。」そんなスタッフさんの悩みに応じて、

先生は先月から処方にメマリー以外にアリセプト錠剤3mgを追加した。

その結果、表情が豊かになり、意欲的に話したり、自分でお箸を使って食事をするようになった。

確かに8月にアリセプトを服用してからは散歩中も良く話すようになった。

といってもその内容は相変わらず意味不明であるが・・・。

ところが、次第にアリセプトの副作用が目立つようになった。

おしゃべりをしているお年寄りにいらいらして「うるさい!」と興奮してどなりつける時があるらしい。

先週散歩をした時に夫のおでこの傷跡に気が付いたので、スタッフさんに尋ねてみた。

すると、転んだり何かにぶつかってできた傷ではなく、

おそらく一人で髪や顔をかきむしった時に傷つけてしまったのではないかという。

 今回の診察では看護師のOさんがアリセプトの服用による効果と問題点をT医師に報告した。

その結果アリセプトを2.5mgに変更して様子をみることにした。

 投薬による認知症の症状改善は、まさに医師のさじ加減の妙にかかっていると思う。

 正直なところアリセプトに関しては、副作用に振り回されたというマイナスイメージしかないが、

さじ加減によっては、脳の活性化の効果のみを上手く引き出させるのかもしれないと期待しよう。

症状がここまで進行してしまっても、なるべく本人にとって好ましい生活を送ってもらおうと考えて下さる

医師とスタッフの皆さんに感謝したい。

 それと同時に、皆が自分のことについて話していることすら理解できないで

診察室の椅子でぼんやり座っている夫自身の幸せについて改めて考えさせられてしまった。

もしも夫自身がこの話に加わることが出来たら、

夫が自分がアリセプトを飲むべきかどうかについて、いかなる決断を下すだろうか。

いや、もしもこれが夫でなく私自身のことであったらどうだろう・・。

ご飯を一人では食べられず食事中に立ち歩きしてしまう無気力な自分と、

食事は一人で食べられ、豊かな表情で意味不明なことをよくしゃべるが、

急に怒って老人をどなりつけたりしてしまうこともある自分。

考えれば考えるほど気が重くなる・・。

どちらの自分も幸せだとは思えない。

どちらにもなりたくない。

 こうして自分が将来介護者の立場から被介護者の立場になった時のことを想像してみると、

暗い顔をして壁に頭をぶつけていた数年前の夫の心境がよく理解できる。
 
それでは、もしも自分が認知症になったらどう介護して欲しいのか、今の心境を率直に書いてみると。

1 認知症になった私の状況をブログで紹介しないで欲しい。恥ずかしいから(笑)。

2 延命治療はしないで欲しい。人に命を操られ、自分の思うとおりに生きられないのであれば、

  なるべく早く自然な状態であの世に行かせてほしい。

3 認知症でげっそりやつれてしまった残念な姿を世間の皆さまにお見せしたくない。

  自分が納得していないすっぴんの写真を人前にさらしたくないなあ(一応女性だから)。

  そう考えてみると、認知症の連れ合いの病状や介護の様子をブログで紹介するという行為は、

  被介護者の相方本人にとっては必ずしもうれしい愛情表現の手段ではないことがわかる。

 今まで私は相手がわからないことを良いことにして、本人が他人に知られたくないであろうことがらや

 見せたくないであろう写真を公開してしまった。

  ーーなんとも夫には大変申し訳ないことをした。ゴメンナサイ🙇

 罪滅ぼしの意味をこめて、夫の気持ちに寄り添った介護とはなにかを改めて襟を正して考えてみた。


自我を失う前の夫が一番望んでいたことはなるべく社会や家族の迷惑にならないで余生を静かに過ごすことだった。

私が今の夫に望むことは、辛い思いをしないで穏やかな毎日を過ごしてもらうことに尽きる。

施設のスタッフさんと医師は、夫にとっても他の居住者にとっても心地よく過ごすことが出来る日常空間であり、

スタッフ自身にとっても過度な負担を強いることがなくやりがいをもって働くことが出来る職場であり、

そして居住者の家族にとっても安心して介護をお任せできるような施設であるべく努力している。

これからは夫と私たち家族とスタッフさんと医師の皆にとって納得ができる方向性を慎重に模索していくことが、

私が夫に代わってするべき一番の任務なのかなと思っている。

アリセプト2.5mgと3.0mgとアリセプトなしーーどれが今後の方向性を支える道具として優れているのか、

私も夫の介護を支えるメンバーの一人として考えていきたい。

前回紹介した怪獣君もすっかり人間らしくなって無事に我が家を去って行った。

これからは、夫とラッキー君にたっぷり愛情を注いで、彼らとの秋のお散歩を存分に楽しみたい。


追記ーーアリセプト2.5mgを一週間続けたところ、怒りっぽくなる副作用はあまりなくなり、

自分でご飯を認識して食べているそうなので、このまま2.5mgの服用を続けることにしたそうだ。

たまに怒ることもあるそうだが、たまに怒ってても別に良いのではないかということになったそうです。

確かに夫は病気になる以前もたまには怒っていましたから、そのほうが彼らしいのかもしれません(笑)

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プロフィール

ルッコラ

Author:ルッコラ
ルッコラとバジルが大好きです。
家族は夫と娘二人と黒いフレンチブルドッグのラッキー君。
2009年に若年性アルツハイマーと診断された夫は在宅介護と認知症専門病院の入院を経て、現在は有料老人ホームにいます。介護は初心者なので、どうぞ感想やアドバイスをお願いいたします。

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