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「若年性アルツハイマー」で検索して当ブログに来られた方へ


51歳で若年性アルツハイマーを患った夫の11年間を徒然なるまに書きつづったブログです。

夫の11年間の病歴とブログに書いた内容のキーワードをざっくりと記しますので、
.
ご自分が知りたい記事を探す時の目安にして下さい。


2009年   K病院で若年性アルツハイマーを宣告。 

2010年  半年で休職して自宅介護を始める。
                 (病気を受け入れられずに苦しむ)

2011年  治験参加。書くことが苦手に。
                 傷病手当金の給付

2012年  要介護1精神状態の悪化で治験中止、
                  不穏状態、自殺願望、受診拒否 
     精神障碍者手帳、自立支援医療受給者証の交付、

2013年  若年性認知症用デイサービスに通うが一か月で挫折、退職 
     公的介護利用を全て拒否、家に引きこもる 介護者が体調不良に
     J病院に検査入院(10月)、認知症専門病院に転院 

2014年  有料老人ホームに入居(6月) 穏やかな毎日を過ごす。 、

2015年  要介護3 病状が少しずつ進行する。 意思疎通が不自由に。 
      
2016年  要介護4 娘の結婚式に参加

2018年  自宅で還暦祝い 食事介助が必要 会話での意思疎通が困難

2019年   要介護5 肺炎で入院(4月)  8月再入院。肺がん、気胸の発症 
      経鼻栄養 寝たきり状態 

2020年   認知症と肺がんの進行により永眠      


本人と介護者が一番辛かったのは、不穏状態が激しかった初期から中期までと

急に寝たきりになってしまった終末期の時です。

50歳代の働き盛りの男性が突然認知症を宣告されて、職場を離れて自宅療養することになった

とまどいや苦悩を家族の立場からつぶやきました。

家族が病気になって学んだこと、楽しかったことや、素敵な出会いも色々ありました。

このブログが若年性認知症になってしまった方に対してどう接したら良いのかを考える手助けとして

少しでもお役にたてば良いかな~と思っています。


  2020年2月17日 ルッコラ





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テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

介護の卒業にあたって


夫が旅立ってからちょうど一か月の日に、立派な花束が我が家に届いた。


はな


送り主は夫が発病してからもよく家に遊びに来てくれて、このブログでも何度も登場した

例の(笑)高校時代の愉快なチョイ悪仲間たちである。

さっそくラインで娘たちに見せてあげると

「すごく立派なお花だね、それにしても一か月すごく早かったなあ。」

「アッという間だったー。」

とすぐにコメントが返ってきた。

確かに親子共に怒涛の一か月を一気に駆け抜けた感がある。

夫が亡くなった翌日も仕事に行き、結局一日も忌引を取れず、

仕事の合間に葬儀社や役所や銀行に連絡をする毎日が続いた。

実は告別式の二週間後には以前から決まっていた姪っ子の結婚式にも留袖を着て笑顔で参列した。

忌中のしきたりを色々と破ったので、死後は地獄の底で閻魔様に厳しい刑罰を受けることを覚悟している。

忌中破りの件も含めて、私は夫に手抜きのダメダメ介護をしてしまったと大いに反省している。

病気の初期段階では、すぐに不穏状態になって家族に怒り出す夫に向き合うのが怖くて、

あるときは仕事に逃げ、ある時はランニングに逃げた。

終末期では、飄々とした自由な雰囲気が似合う彼に、無粋な身体拘束や

絶食状態でのカテーテルの長期装着を認めてしまい、最後に辛い思いをさせてしまった。

私の11年間の介護、自己採点したらせいぜい40点くらいかな。

彼に合った良い施設を見つけることができたのが、私の介護で一番評価できる点かもしれない。

「よくやった」とお世辞でほめたり、あれこれ慰めて下さる方もいらっしゃるが、

他人の目はごまかせても、自分の気持ちはごまかせない。

「もっと一緒に美術館や公園に行けばよかった。」

「もっと家で高い牛肉ですき焼きをしてあげればよかった。」

「もっときちんと話を聞いてあげたら良かった。」

反省すべきことが涙と共に無限に湧き上がる。

でも、こうしてお友達が贈ってくださった百合の花の優しい香りにずっと包まれていると、

自分を責めたくなる気持ちが次第に和らいできて

「まあ介護の出来不出来にいつまでもこだわる必要もないのかな」

という気持ちが次第に芽生えてきた。

「○○君への感謝をこめて 友人一同」

というカードが添えられた清らかな花束を見ていると、さっぱりとした身なりをして

親しい友人や同僚との洒脱な会話を楽しむ彼の面目躍如たる姿が目に浮かぶ。

認知症になって言葉も知識も失っても、彼の存在を大切に思い続けてくれる仲間がいた。

それこそが彼の真骨頂なのであって、彼の価値は決して私の介護の出来不出来

によって上がったり下がったりするものではないと強く思う。

私の夫は、医療や介護の達成度を世間から評価されるために生かされるべき人ではない。

彼の素敵だった人生を振り返ったときに、認知症に翻弄された11年間は、おそらく

そっと早回しをして短く語る配慮が必要な時期なのではないか。

やむを得ず結んだ私と夫との介護ー被介護の関係を無事に解消することができた。

だから、これからは夫のことを理想の男性として思いっきり美化して思い描くことにしよう。

「私の旦那様はイケメンでやさしくて、私たち家族に人として一番大切なことが何かを教えてくれて、

全人類と全動物から愛されました。」

なーんて思いっきりみんなに絶賛しているうちに

「将来こんなに佐藤健並みに尊い男性と永遠に無邪気なラッキー君と一緒にお墓に入れるなんて

自分は何て幸せな人間なんだろう」、と心の底から思えるようになってきた。

私の介護は40点だけれども、彼の人生には100点満点をつけてあげたい。、

そして本人にとっては他人に知られたくない不本意な辛い毎日を本人に内緒で他人に報告して

し続けたことを天国の夫に詫びつつ、本ブログを今回にて無事終了としたいと思います。


最後に私が諸子百家の中で一番好きな、荘子のあるくだりを紹介して

私の今の心境とかえさせていただきたいと思います。

****************

荘子の弁論の好敵手であった恵子が、荘子の妻の死の報に接して弔問に行くと、

荘子は胡坐をかき、土の盆をたたいて歌っていました。

 あきれる恵子に荘子は言います

「はじめは悲しかったけれど、命というもののそもそもの始まりを考えてみれば、

もともとおぼろでとらえどころのない状態でまじりあっていたわけだ。

それがやがて変化して気ができ、全てが変化して形が出来て、

その形が変化して生命が出来た。

それが今変化して死へと帰っていく。

いわば四季の巡りと同じで、妻は天地という大きな部屋で

安らかに眠ろうとしているんだよ。

それが命の道理だし、だから大声を張り上げて泣くのはやめたんだ。」

(NHK出版 荘子 玄侑宗久著より)

******************

もちろん荘子だって大いに悲しかったのだと思う。

でも死という現象を自然界における道理の一つに過ぎないと言うことによって、

親族の死を深く長く悲しむ行為が尊ばれる当時の世間の風潮に一石を投じたかったのであろう。

私は荘子の様にあぐらをかいて歌うことは不得意なので、

かわりに今日から10キロランを再開した。

公園では2012年2月にこのブログで書き綴った来年の蠟梅の時と同じ蠟梅や河津桜の花が咲いていて、着実な四季の巡りを感じ取ることができた。

蠟梅

河津さくら



脳腫瘍のラッキー君は相変わらず絶好調、夫の代わりに沢山ご飯を食べて丸々太っている。

ラッキー君、今回お世話になった近所の葬儀社のお兄さんと大の仲良しになったのです(笑)、


拙い私のブログに長年お付き合い下さり、本当にありがとうございました。

今までのコメントの総数が1657件、暖かい皆様のコメントに励まされて今日まで続けることができました、

お陰様で私は両親、義父母、夫の介護を卒業することができました。

現在も介護に向き合っていらっしゃる皆様は、どうぞ自分の心と身体を大切にして

悲しいことは早送りにして、楽しい介護生活をお送りください。

テーマ : ポジティブでいこう!
ジャンル : 心と身体

お父さん お疲れさまでした

昨日、夫の告別式を無事終えることができた。

夫は大学の教員でした。

2010年に大学を離れてから10年目。

高校、大学時代の友達、教員時代の同僚、教え子、施設でお世話になったスタッフの皆さん.等

100名あまりの方が通夜に夫に会いに来てくださった。

夫が高校時代に演劇部に所属していたことを、供花のお札を見て初めて知った(笑)

私と夫は大学1年生の語学クラスで知り合った。

友達の関係から恋人の関係になり、やがて夫婦の関係となった。

11年前からは介護者と被介護者という関係にもなってしまった。

40年以上こんなに密接な関係を結んでいるのだから、

私が彼の全てを知り尽くしていたのかというと

決してそんなことはないわけで、

私が参加していない彼との思い出がたくさんあり、

その思い出を心の中に長い間大切にしまっている方が沢山いらっしゃる

ことがわかって、何だかとってもうれしかった。

(あっこれは別に彼の愛人や隠し子がいっぱい来たっていう意味ではないです)

多くの方が私に夫との心温まるエピソードを涙ぐみながら教えて下さった。

夫への長い手紙を私に渡してくださった方もいた。


発病後、自己肯定感の低下に苦しみ、己をののしりながら壁に頭をぶつけていた夫

閉ざされた狭い空間で毎日を過ごし、お金を持つことも自由に外出することも許されなった夫


自分のお葬式にこんなに沢山の方が来て下さって、彼の人柄や仕事ぶりをほめていたことを

知ったらすごく喜んで少しは自信を取り戻せたのになあ、と思う。

「自分のお葬式は見ることができない」のが人生のお約束事なのだから、こればっかりは仕方がないのだが。

その代わりに、私と娘たちがお褒めの言葉を頂戴して、

「お父さんすごい。」ってちょっぴり有頂天になることができました。


 お世話になったS施設からもスタッフさんが5人も会いに来てくださった。

私たちが式場にS施設での夫の写真を沢山飾ったことをとても喜んでくださった。

「だって、S施設での夫の写真がどれもこれも本当に心から楽しそうな顔をしているから、

沢山飾っちゃったんですよ!」

と言いながら、写真を見ながら思い出話に花を咲かせた。

もうS施設に行く用事がなくなってしまったと思うととても寂しい。



介護は私たち家族に沢山の良き出会いや学びの場を与えてくれたように思う。

辛いこともたくさんあったけれども、今思い出すことは楽しい思い出ばかり。

辛かったことはこの際全て忘れてしまおうと思う。


小さくなって帰ってきたお父さん。これからも私たちをしっかり見守って下さいね。

テーマ : ポジティブでいこう!
ジャンル : 心と身体

夫が旅立つ日までのことー2

1月5日、夫の愛犬のラッキー君が急にソファーからどしんと落ちて失神した。

びっくりして駆け寄ると、目を固く閉じて小刻みに震えたまま失禁している。

数分経ったらすっと立ち上がって歩き出したので一安心。

娘「大丈夫かな?てんかんかな?」

私「わからない?あーびっくりした!」

今から考えると、これが夫が天国に旅立つ予兆だったのかもしれない。


その日の夕方、夫の病室を訪ねると夫がいなかった。

慌てて看護師さんにたずねると、

「昨日から今日にかけて血圧が不安定になったので大事をとって個室に移動させていただきました。」

と言いながら個室に案内してくれた。

個室に移された夫は、大きく口を開けて呼吸をしていた。

目を開けているが私がよびかけても反応しない。

私を見かけた主治医が病状説明をしにいらした。

「昨日から今日にかけて、急に血圧が下がりましたが、現在は落ち着いています。

昨日大量の胸水がドレーンに排出されましたが、心配なのは胸水に血が混じっていた点です。

原因として一番可能性が高いのは、癌による滲出性胸水であることです。

お正月明けの明日にレントゲンを撮って、胸水に癌細胞に含まれているか検査をしたいと思います。」

私「先生、夫は今痛くて苦しんでいるのでしょうか。」

医師「おそらく、激しい痛みは感じていらっしゃらないと思います。

  今後癌の進行による疼痛で苦しまれたらモルヒネなどによる緩和ケアを行います。」

私はぼんやりと医師の話を聞きながら、

癌細胞が弱りきった彼の身体の中で縦横無尽に暴れている地獄絵を妄想していた。

「もう私の旦那様をこれ以上いじめないで。」

とつぶやきながら手足にニベアを塗ってあげることくらいしかできなかった。


翌日の午後、お正月明けの職場で仕事をしていた私に病院から電話がかかってきた。

「ご主人の呼吸が弱くなってきたので至急来てください。」

その一言で、この日が自分にとって一生忘れない特別な日になることを悟った。

やさしい夫は、作業が一段落して仕事を抜けられる時間を選んでくれたのかもと

感謝しながら電車で病院にかけつけた。

病室に入ると、顔なじみの看護師さんが私の顔を見て

「間に合ってよかった。奥さんが来ましたよ!」

と夫に話しかけ、大急ぎで来たのでまだ息が荒い私に

「ご主人は多分あと数10分だと思います。どうぞ見守ってあげてください。」

と言って病室を離れた。

その日の夫は昨日までと全く違う呼吸をしていた。

下顎をぱくぱく動かす口元だけの浅い呼吸が不規則に刻まれている。

バイタルモニターの脈拍、呼吸、酸素値、すべてが低下して赤いランプが点滅している。

口元だけの呼吸が続いているので全体に酸素や血液がまわっていないのだと思った。

脳はすでに休眠状態なのかもしれない。

目は開いているけれど焦点が全く定まっていない。


二人の娘が急いでこちらに向かっているというラインが来たので、

「もうすぐ○○ちゃんと、○○が来るからそれまで待っていてね!」

と手を握って必死に励ますが、脈拍は益々弱くなっていく。

何とか娘たちに息をしている彼を見せてあげたいと思うのだが。


担当の若い看護師さんが夫の様子を見に来て下さった。、

「痰をとりましょうか。」

といって、痰をとりはじめた。

痰を取り終わった瞬間、急にバイタルモニターのアラームが「ピーっ」となって

心拍の表示が真っ赤な直線になったので、

「あっ」

と思わず小さな声をあげてしまった。

誕生以来61年間刻み続けていた彼の心臓が停止し

苦しみながら呼吸する苦行から解き放たれた瞬間だった。

大切な人を永遠に失ってしまったという喪失感と、

彼がやっと楽になれて良かったという安ど感が一度に押し寄せてきた。

172日間の長い入院生活をやっと終えることができた。 

さあ これでやっとラッキー君がいる家に帰れるよ。

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

夫が旅立つ日までのことー1

これから少しずつ、夫が旅立つ日までのことを忘れないうちに記録に残しておこうと思う。


クリスマスが近づいてきたころから、夫の病状は少しずつ悪くなっていった。

しばらくブログを書かなかったのは、当時の私の感情の揺れ幅があまりにも大きくて

どれが本心なのか自分でもわからなくなってしまうほど混乱していたからである。


次の段階の治療に進むための一時的措置と思って装着に同意したカテーテルが、

結局のところ生命維持のために不可欠な延命装置となってしまった。

経口摂取が止められたまま、静脈中心栄養、導尿、経鼻、肺のドレーン装置の

4種のカテーテルを装着し、2時間ごとに痰の吸引をすることによってかろうじて命が維持される。
 
そんな変わり果てた姿の夫を見て、気持ちがざわつかない訳がない。

「もうすべてを終わらせて楽にさせてほしい。」

という気持ちが会うたびに沸々と湧き上がってきた。


 クリスマスなのにご飯が食べられないやせ細った夫を見ているのが辛くて

「もうどうなってもいいからこのカテーテルを外して、ビールとウナギご飯を食べさせたい。」

という幼稚な殺人計画もこっそり妄想した。


もちろんカテーテルは医師が勝手に装着したものでなく、全て家族の同意サインを得て実施された。

家族で十分話し合って下した判断であったが、結果的に夫を苦しめるだけの余分な医療行為をさせてしまった

のかもしれないと大いに落ち込み、苦しむ夫に

「こんなに辛い目に合わせてしまってごめんね。」と何度もあやまった。


その一方で、こうして密かに夫の死を望む自分を強く責める気持ちも存在した。

辛くても生きようと必死に呼吸をして、時には私の声に反応して何らかの言葉を発してくれる。

そんな夫の強い生命力に感服し、彼が一日も長くこの世を過ごせるように応援しようとも心底思った。


病床の彼に会うたびに、このような相反する様々な気持ちが湧き上がって、

気持ちの整理がつかないまま半泣きの情けない姿で病院を後にする日々が続いた。


病院のクリスマスツリーが片づけられたころ、主治医は私に自己血癒着法の終了を告げた。

「残念ですが、ご主人に対して当病院でするべき治療はすべて終わってしまいました。

本来でしたら療養型病院に転院していただきたいのですが、ドレーン装置を装着している

ご主人を受け入れる療養型病院は非常に少なく、またご主人の身体が移動に耐えられるか

という問題もあります。

お正月はこちらで過ごしていただき、お正月明けにこれからについて相談するということ

でよろしいでしょうか。」

とうとう全ての治療が終了し、看取りのステージに入ったのだとわかった。

お疲れさまでしたお父さん。あともう少しで港に着きますよ。

そんなことをつぶやきながらやせ細った夫の脚をニベアでマッサージした。

もうこんなことしかしてあげられなくて、

しかもそのうちこんなことも出来なくなると思うと悲しくて仕方がなかった。


お正月も毎日病院を訪れた。

当直の医師しかいない静かな病院で、看護師さんは夫の状態をとても丁寧に見て下さっていた。

「ご主人は、今日も変わったことはありませんでしたよ。」

と言って下さると心からほっとした。

「お父さん、明けましておめでとう。 今年は令和2年ですよ。」

と話しかけたが、夫は目を閉じたままで、全く反応がなかった。

(続く)

プロフィール

ルッコラ

Author:ルッコラ
ルッコラとバジルと走ることが大好きです。
家族は夫と娘二人と黒いフレンチブルドッグのラッキー君。
2009年に若年性アルツハイマーと診断された夫は、在宅介護と認知症専門病院の入院を経て、有料老人ホームで穏やかな療養生活を過ごしていましたが、2020年の1月に肺がんで永眠しました。
11年間の介護生活で大変だったことや、楽しかったことを綴っています。

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