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バラが咲いた

先週の日曜日は長女夫婦が夫に会いに来てくれた。

正午にホームに着くと、1階ロビーのソファーに座っていた夫はうれしそうな顔をして私たち3人を出迎えてくれた。

この日はあいにく真夏並みの暑さ。

暑がりの夫は、昼ご飯を食べに外に出るとさっそく

「暑い!」「これは大変だ」「ひどいよね。」

と少ない語彙を駆使して辛い思いを必死に伝える。

「非常事態」を宣言する夫をなだめすかせて何とかいつものレストランまでたどりついた。

何にしようかあれこれ迷って結局全員前回と同じものを注文、

H君が生姜焼き定食、私がオムライスで娘はグラタン。

夫もいつもの昭和味の「ナポリタン」にした。

H君が我が家にお泊りするようになってはや2年、食べ物の好みや生活習慣がわかってきた。

娘「揚げ物やお肉が好きで、特にカツカレーが大好物かな。

 本屋で本をいっぱい買ってきて読んでいる。お父さんと結構似てるよね。」

私「あはは、それは大変だ。でもお酒を飲まないところはうちのお父さんよりずっと素晴らしい。」

娘「でも、その分甘いものいっぱい食べるから糖尿病になりそう!だから家にはお菓子を置かない。」

私「H君、運動しなくちゃ。今度一緒に走ろうよ。」

H君「僕、基本的に走る楽しさっていうのが全く理解できないです。」

あっこのセリフは以前に夫からも聞いたことがある。

どうやら娘も私と同じくインドア派の旦那様とご縁があったようで・・・

その後も私と娘は自分たちの旦那様の共通点(例えば髪の毛・・)をあれこれ見つけて盛り上がった。

もしも夫が私と娘の話を理解できていたら、間違えなくH君の側について私たちのことを

「君たち女性は僕たちの本質を何もわかっていない」

と猛反撃したと思う。

女性優位であった我が家にせっかくH君という頼もしい夫の味方が加わったのに、何とも残念だ。

さらに残念なことに、夫は自分でナポリタンを食べられなくなっていた。

フォークを握らしても麺をフォークに巻き付けるという動作ができない。

でも私が巻き付けて口に運んであげると、美味しそうに食べてくれた。

今日はお昼を食べてから、タクシーに乗って付近のバラ園に行こうと計画していた。

でも、ちょっと暑すぎるかなあ・・。

そこで夫と同じく暑がり+インドア派のH君にずばり

「ねえねえ、本当はバラなんてどうでも良い、暑いから行くの面倒くさいなあと思ってるんでしょ、」

と聞いてみたら、H君は笑いながら

「まあ、暑い時はクーラーのきいた家で寝ながら本を読んでいるのが最高だと思います。」

と、男心を吐露してくれた。

「でもさ、せっかく来たんだからやっぱり行こうよ。」

と娘がH君を促したので決行することにした。

このバラ園は、毎年バラの開花時期に合わせて、春と秋に一般公開している。

高台の緑地にある園内には533種、4700株の色とりどりのバラが一斉に咲き乱れ、

まるで中世の秘密の花園に迷い込んだようであった・・・・がやっぱり暑い。

夫は案の定「暑いよ」を連呼していた。

それでも、たまに「きれいだ」と言ってくれると、私はすぐに

「ほら、お父さんがきれいだって言ったよ。(やっぱりきて良かったでしょう)」

と娘夫婦に喜び勇んで報告するのだが、実は夫はバラをほとんど見ていない

どうやら彼は動かないバラよりも、よちよち歩く赤ちゃんや駐車場に舞い立つ土ぼこりなど

動くものを「きれい」と感じるらしい

まあそれも良いか。

一周りした後ベンチで「バラのアイス」を食べて一休み。

H君がここのバラについて、率直な感想をのべた。

「まあ、遠くから見るときれいだけれども、

近くから見ると写真でみるような整った美形のバラは案外ないんだよね。」

確かにどのバラも、近くから見るとほとんどの花が開きすぎていて、しかも花びらに茶色いシミやしわが見られる。

まるですっぴんの私の顔みたいだといってはあまりにもバラに失礼か。

私「確かにみずみずしさがないよね。きっと急に暑くなってバラも熱中症気味なんじゃないかな。

バラもお父さんと同じで「暑い」って叫びたいのかも。土もカラカラだし。」

私たちはおばさん顔でない若い美形のバラがないか探した。

これが今回の私たちの一押しのべっぴんさんのバラです。

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暑かったけれどもやっぱりお出かけは楽しい。良い気分転換になる。

私は今回の外出を通じて「結婚っていろいろ厄介だけれども、まあ良いこともあるかな。」と思った。

もしもH君も夫も結婚していなかったら、毎日好きなとんかつやカツカレーを食べ、

食後にはお菓子(H君)とお酒(夫)を片手に夜遅くまで本を読むに違いない。

休日も出かけずに家でゴロゴロしながら読書三昧。

その結果成人病を患って一度もバラ園のバラを見ることもないまま短い生涯を終えてしまうことになるかもしれない。

まあそれはそれでやりたいことをし尽くした充実した人生であるのかも知れないが、

健康管理をしてくれる嫁と同居したほうが体のためには良さそうだ。

とはいっても夫が口うるさい私の存在がストレスになってアルツハイマーになってしまった可能性も排除できない。

もしもそうであったのだったら本当にごめんなさいです。

私自身も若年性認知症の夫の存在がストレスになって、その家族という重圧から逃げ出したいと心から願った時があった。

それでもこうして家族でバラ園に出かける楽しみが味わえたので、やっぱり結婚して良かったのかな、と思っている。

H君と旦那様、今日は私と娘のために暑い日のバラ園巡りにつきあってくれてどうもありがとうございました。
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テーマ : 自分らしく
ジャンル : 心と身体

人間って良いなあ

好天気に恵まれた今年のGW,

部屋を片付けたり夫やラッキーと新緑の公園を散歩したりとのんびり過ごすことが出来た。

4日は夫の高校時代のお友達のTさんが夫に会いに施設に来てくださった。

施設のスタッフさんとの担当者会議に参加してから夫の部屋に行くと、

Tさんはすでに持ってきた果物をテーブルに広げ夫と会話らしきものをしていた。

「会話らしきもの」と表現したのは、最近の夫とは「会話」を成立させること自体がかなり困難になってきたからである。

担当者会議においてもそのことが話題の中心になった。

スタッフ:「こちらの言うことをあまり理解されていないようです。

 例えば、何回も『座ってください』といっても座っていただけません。」

看護士:「そのことを先生に相談したら、『座って』という表現をSさんが理解できる一つの言葉に統一すると良い

 とアドバイスされたのですが・・。」

私:「それは難しそうですよね。犬だったら『お座り』『待て』『よし』のシンプルな号令を理解するように

 初めからしつけられているのですが、人間は同じ意味でも多様な言いまわしがあり、

 小さい時からその場に応じて使い分けていますから。

 どんな風に『座って』といったら彼が座ってくれるのか、私にも見当がつきません。」

スタッフ:「そうなんですよ(溜息)。それと最近お食事中食べるのをやめて歩き出してしまいます。

 『もう少し座って食べましょう。』といっても理解できないようです。

 食事をしているということを忘れてしまうようです。」

私:「私も最近の夫はほとんど言葉を理解していないのではと感じています。」

 最近の夫はとても穏やかで、以前のように突然怒ってどなりだすことはない。

大変有難いことではあるが、それは本来彼にとって不快であった事象を認知できなくなるまで

症状が進んだからなのかもしれない。

 Tさんも一年ぶりの夫について、

「去年より少し進んだかもしれないね。」

と感想を述べた。

「一年前は俺の顔を見たら喜んで抱きついてきたけれど、今日はそれがなかったなあ。」

と言って、

「おい、俺はお前の友達のTだよ。わかってるのか。」

と高校時代のエピソードをあれこれ話して、自分のことを思い出してもらおうとしていた。

夫はTさんの顔を見て愉快そうにあれこれ話し始めたが、Tさんの話と全くつながらない意味不明の内容であった。

「お前は高校の時から色々なことを考えていたから、きっと今も何かおれに話したいことがあるんだろうなあ。

まあ、元気で良かった。おれだって最近老いてきたからさ、今のままで大丈夫だよ。」

 それから三人で近くの用水路と植物園を散歩した。

植物園の庭園にはサクラソウ等色とりどりの春の花が百花繚乱と咲き乱れ、まさに春爛漫。

Tさんは時々つまづきそうになる夫の腕をしっかり支えながら、庭園の一角に置かれた盆栽を指さして、

「俺も最近はこういう盆栽の良さがわかるようになったよ。」

と夫に話しかけた。

「老後はいっしょに盆栽でもやろうか。でもお前は昔から美的センスというものが全然なかったからなあ。

お前には盆栽は無理かもしれないなあ。」

と今も昔もマイペースな夫のことをからかった。

私は会話が通じない夫にあれこれ話しかけて下さるTさんに感謝すると同時に、

「やっぱり人間っていいなあ。」

としみじみと思った。

「人間」であることにこだわったのは訳がある。

連休中にロボットと人工知能(AI)に関する入門書を数冊読んだ。

文系人間なのでその内容を全て理解することはできなかったが、とりあえず若年性認知症になった夫の脳が

急激に退化してしまったこの数年間に、世界のロボットや人工知能が驚くべき進化を遂げたという事実を確認

することが出来た。

今の人工知能は膨大なビッグデータを解析して、そこから機械自身が「特徴」を抽出することができるディープ

ラーニングが出来る。

なんと2045年には人工知能の性能が全人類の知性の総和を越えるともいわれているそうだ。

2009年の頃の夫は普通に会話ができ、車の運転もしていたが、

8年後の今は50数年間かけて蓄積したマイデータをほぼ喪失し、

ディープラーニングどころか長年連れ添ってきた妻の顔すら認識できなくなってしまった。

2012年、初めてiPhoneのsiriと話をした時、

「何このお馬鹿さん。使い物にならない。」

とsiriを嘲笑ったが、今は夫よりsiriのほうがよっぽどおしゃべり上手である。

もちろん7年間で夫と人工知能の知力が逆転したのは夫が認知症になったからで、

siriに負けても仕方がないと納得できよう。

ところがこの先は頭脳明晰な健常者すら人工知能の知性に負けてしまうかもしれないのである。

その時の人間は今の夫のように「仕事で役に立たない」存在になり下がってしまうのだろうか・・。

私には、2045年の世界を予測する能力がない。

でも例えAIの性能が人間の知性を超えることになってもAIが人間の存在を脅かすことはないだろうし、

そうあってはならないと夫とTさんが仲良く散歩をする光景をみて思った。

AIはいくら高性能であっても所詮は役に立つ道具に過ぎない。

単なる道具と割り切って必要に応じて使えば良い。

夫の価値はその性能にあるのではない。私たち家族もTさんも彼の存在そのものに価値や安らぎを感じている。

その性能が限りなくゼロに近づいても存在してほしいと心から願っている。

Tさんは後日「なぜかいつもYとあうと私の心も穏やかにしてもらえます。

またよろしくお願いします。」と暖かいメッセージをラインで送ってくれた。

私はそういう役に立たないことに「ほっこり」とする感情が備わっている人間を尊く思う。

将来のAI君は決して人間と知力を争うために存在するのでなく、

身体的、精神的に弱い立場に置かれている人間の感性が尊重されるような

ゆとりのある生活空間を生み出すための縁の下の力持ちになってほしいと思う。

AIより知力が劣る人間も自分たちにあった仕事をして生きがいをもてる生活を送ってほしい。

2045年がぎすぎすとした競争社会でなく、AI君と認知症等の困っている人が仲良く共生できる社会になってくれるといいなあ。

提出期限を過ぎてしまいましたが、これを私の今年のGWの課題図書の感想レポートとしたいと思います。(ノ´▽`*)b☆

テーマ : 幸せに生きる
ジャンル : 心と身体

桜の樹の下で思うこと

今年の東京の桜は咲き始めてから寒の戻りが続いているので、満開になるまでの期間が長そうだ。

夫が住むホームの近くにある用水路の並木道の桜が咲くと、心の芯に響くような感慨を覚える。

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日本人が桜に特別な感情を抱くのは、節目の季節に咲くからなのかもしれない。

今年も多くの親しい方が長年の職場を離れ、新たな人生に向かって歩み始めた。

我が家の二人の子供も4月から生活の場が変わることになり、今日も引っ越し準備に追われている。

4月1日の今日、きっと日本中の多くの人が娘たちと同じ様に、新天地での第一歩を踏み出したのであろう。

桜の花が咲くたびに抱く思いがある。

それは、治らない脳の病気をもつ家族の介護者になって初めて味わった気持ちでもある。

夫がアルツハイマーであると告知された瞬間から、

彼は同世代の健常者と異なるベクトルの方向を歩み始めることになってしまった。

夫の同世代の多くの人たちは日々研鑽を重ね、その成果を社会に還元させることに生きがいや喜びを見出している。

その方たちは人生の節目を刻むごとに祝福や感謝の言葉を受けることによって、

自分が個人の欲望を満たすために働いてきたのではないことを実感し、パートナーと共に深い喜びを味わうのであろう。

認知症となった夫はそれと無縁の人生を歩むことになった。

来年は還暦を迎えるが、今の彼はそれを節目と認識することすら出来ない。

還暦が今の彼にとって何の意味があるのか、

どうやったら自分を飾るためではない本当の生きがいを見つけてあげることができるのか。

そんなことをいつまでもくよくよと考え続けているのは彼でなくて私の方なのである。

彼自身はとっくに「いかにセカンドライフを生きるか」という熟年世代の定番ともいえる悩みから解放され、

彼らしいさっぱりとした生活を送っている。

そんな彼に憐れみを感じるのは大変に失礼だ。 必要以上に今の彼を悲しまないように心がけている。

最近の私が桜の花を眺めつつ考えているのは、自分自身のベクトルの方向についてである。

一時期は仕事をやめて、夫のベクトルの方向によりそった人生を歩んでいくことも考えたが、

結局、当分は他の同世代の方と同じように仕事を通じて、夫や社会にとって少しでも役に立つ存在になるように

努力をする道を歩んでいくことにした。

その結果、彼と私との間の距離が広がってしまっている。

彼との間に距離感を感じることは決して好ましいことではない。

常に一定の距離をもって彼に向き会おうとする自分に、後ろめたさを感じている。

あるいは認知症の家族を施設に預けた介護者の多くが、私と同様の心の闇を抱えているのかもしれない。

華やかな会での知人との会話を心から楽しむことができないのは、

施設で老人と静かな食事をしている夫のことをつい思い出してしまうからだと思う。

その一方で、夫と会うたびに大人の普通の話が出来なくなってしまった彼に失望し、距離感を覚える。

それでも「自分には会える家族が存在する」ことに喜びを感じようと試みる。

他の同世代の方と同じ方向に進んでいるつもりでも、やっぱり施設にいる夫の存在に引っ張られ、

自分がこれから何に思いを傾けるべきなのか、常に悩み揺れ動いている。

今年も夫とホーム近くの用水路の満開の桜並木を散歩をすることが出来た。



満開の桜は人に静かな勇気を与えてくれる。

仲良く手をつないで桜を見ながら歩いているうちに、将来のことはわからないけれど、

とりあえず今こうして仲良く一緒に見事な桜を見られただけで

自分たちは世界一幸せな夫婦なのだと素直に思うことが出来た。

夫が認知症になって一つだけ良かったことがある。

私も娘たちも夫を通じて、他者の心の痛みを理解する難しさや大切さを学んだ。

心の闇とつきあいながら生きていくことも決して悪いことばかりではないと思う。

来年の春も彼と一緒にホーム近くの桜を仲良く見られるように心から願っています。

テーマ : 病気と付き合いながらの生活
ジャンル : 心と身体

先生に負けた

残念ながら若年性認知症は治らない病気である。

進行をなるべく遅らせて本人にとって辛くない生活を送ってもらうことが

私たち介護者ができることの全てである。

2009年に夫が病気を告知されてもうすぐ9年目になる。

夫の病気の進行を遅らせるためにあれこれ試してみたが、結局まだ還暦にもなっていないのに「要介護4」に

なってしまった。

要介護4は次のような状態であるという

「行動能力がかなり低下しているため、歩行や入浴、排泄、清潔・整容、衣服の脱ぎ着といった作業に全介助が必要。

食事の際の見守りも必要である」
 
今の夫の状態そのものである。

ただし歩行に関してはほぼ問題なく普通に歩くことができて、排泄もほとんど失敗しない。
 
残念ながらこんなにも進行してしまったが、今の彼を見てもさほど悲しくは感じない。

彼なりに自分の人生を謳歌しているように思えるからだ。

彼は数年前から妻や娘たちを認識できなくなった。

ところがその代わりに、散歩で見知らぬ初老の男性を見かけると丁寧におじぎをして

「今のは○○先生だよ。」

と楽しそうに私に言うようになった。

散歩で私に話す内容も、そのほとんどに「先生」が登場してくるようになった。

夫の「先生」フェチが最近ますます過激になってきている。

今は赤ちゃんや子供以外の通行人すべてが「先生」に見えてしまうらしい。

作業服を着たおじさん、普段着姿のおばさん、子供連れの若夫婦・・・

ぜ~んぶ偉い先生である、

そして本当に先生らしい雰囲気のある初老の男性が歩いていると大喜びで

「ほら先生が10人来た!」

と人数を水増しすることでその「先生」が格上であることを強調する。

先週の散歩に至ってはつまらなそうな顔をして歩いている普通のおじさんにいきなり近づいて

「あなた、かっこいいですよ。」

とおじさん、いや「先生」に急に愛を告白して、先生を困らせてしまったではないか。

いつも同じ服を着て研究室で黙々と本を読む先生

授業の後いつも学生を引き連れて豪快に飲み歩く先生

専門以外の趣味の話になるととまらなくなるオタク系先生

きっと今の彼の脳内ファイルには無数の先生があふれていて、家族のデータを収納するスペースがないのだろう。

忘れられてしまったのは悲しいが、相手が「先生」だったら負けても良いかという気持ちになれる。

「先生」に対する思いがこうも強いということは、彼が学ぶことに真摯に向き合ってきた証なのかもしれない・・・

うん、そう思うことにしよう。

もしも彼が私たち家族を忘れたあとも頭に残っているのが「先生」でなく「女の人」で

散歩中女性を見かけるたびに楽しそうに

「僕が付き合っていた〇〇さんだ。こんど連絡しよう。」

「僕の彼女が10人来た。」

いわれたらそれは決して気持ちの良いものではない。

それと比べれば「先生」のことがどうしても忘れられないなんて、可愛いじゃないですか・・。


認知症になってからの夫の七変化は、私に多くのブログのネタを提供してくれた。

最近の七変化はほっこりしているので私も楽しんで皆さんに報告することが出来る。

ずっとこんな愉快な症状が続いてくれれば良いのですが・・・。

テーマ : 病気と付き合いながらの生活
ジャンル : 心と身体

おめでとう!

火曜日は久しぶりに主治医のT先生の診察に同行した。

T先生が夫に

「Sさん、今日は奥さんも一緒でうれしいですねえ。」

と話しかけると、夫は

「あはは、それはですね、実はあそこにちょっと・・・。」

と待ってましたとばかりに訳の分からない話を楽しそうにはじめた。

T先生は夫の話を相槌をうちながらきちんと聞き終わった後で、

「残念ながら少しずつ病気は進行していると思います。

でも本人が今の状態を辛いと思わず気持ちよく生活を送られているようなので、良いんじゃないでしょうか。」

と夫の現状を好意的に評価した。

私もT先生の意見に同意した。治らないのであったら、今の状態に満足するべきだと思う。

診察が終わって帰る時に、T先生は

「うん、やっぱり今日はいつもより表情が明るくて反応も良いよ。奥さん効果かな。」

と私を喜ばせることをおっしゃってくれた。

夫もT先生もやさしいなあ。


ホームに戻ると、介護主任のHさんが私に

「今から事例研究の発表のリハーサルをやるので聞いていただけないでしょうか。」

と頼みにいらした。

Sホームのスタッフは常に介護現場における事例研究に取り組んでおり、2年前からは若年性アルツハイマー

の夫を事例研究の対象として選んでいた。その発表が今週行われる。

一階のロビーでパワーポイントを使ったYさんの発表のリハーサルが行われた。

発表のテーマは「僕たちの居場所は…今私たちにできることー」

Yさんは制限時間8分をフルに使って次のような内容を自分の言葉でわかりやすく発表した。

Yさんたちスタッフの取り組みは在宅介護の方にも参考になる部分があると思うので紹介させていただきます。


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1 はじめに 

若年性認知症についての紹介

夫のプロフィールと家族構成、若年性アルツハイマーの夫が老人介護施設に入居した理由。

2 受け入れたばかりの夫の状態、問題点

   ① いらいらして壁をたたいてどなる ー 集団生活が苦手。
  
   ② 夜の放尿ー新しい場所に慣れない
  
   ③ 老人ばかりの環境になじめず居場所がなくて孤立する―することがなくて一日中歩き回る

 →高齢者施設で若年性認知症にどのような対応をするべきか事例研究として取り組むことにする 

3 取り組み1
 ① 家族から生活習慣を詳しく聞いて生活情報シートを作成

   15分ごとに夫を観察して行動表を作成            

    →問題の起こる背景を理解する 

   結果: 不穏の原因
         自分の望まない時間に起床するのが苦痛。
         家族と長時間の外出の翌日。
         ホームでの様々な雑音等 


 ② スタッフ全員が若年性アルハイマーについて勉強するー主治医のT先生に講義してもらう。
 
4 取り組み2 → 具体的な対応  

 ① 身体的エネルギーの発散
  
    --公園へ散歩。買い物代行の付き添い。マックで軽食(同性同世代のホーム長が同行)。
 
       効果: 夜間の睡眠向上。
           徘徊、放尿の減少
           同年代の方との散歩で笑顔が増える
。 
 ② 役割を持つ
 
    --毎食後の食器洗い、行事の準備作業の手伝い→必ず感謝の言葉を伝える
    
        効果: 信頼関係が良好に 
 
 ③ クールダウン
   ---表情を観察して静かな場所に案内し、なじみのあるCDや本を取り入れる
 
        効果: 落ち着いた時間がもてるように

5 今後の対応 
 
   今まで出来ていたことが出来なくなっていく

   「何かをしたい」「頼りにしてほしい」と本人が訴えかけていることを受け止める必要

    →スタッフの一対一の対応が必要 課題も大きく更なる取り組みが必要


6 近況 長女の結婚式へ参加ーー父親の役目を果たした 
  
  ホームから手作りの貼り絵をプレゼントする → 家族からも感謝され手作りの色紙のお礼が

7 まとめ

  高齢者との団体生活やホームのルールに合わせるだけではいけない。
  
  生活リズムを大切にし、人生を尊重しながら症状にうまく対応していくことが大切

  入居者の存在価値を見つけ出す介護の難しさ

  入居者にとって本当に居心地の良い居場所を作る取り組みをこれからも続けていきたい


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パワーポイントを見ながらYさんの発表を聞いていると、

「そういえばそんなこともあったなあ~」

と色々な出来事が走馬灯のようにあれこれ思い出され、

改めて夫の介護に真摯に向き合って下さっているスタッフの皆さんに心から感謝した。

私たち家族以外にも夫のことをこんなにも考えて心配してくれる人がいらっしゃることがわかって本当にうれしい。

いや、15分に1度夫のことを考えてくれるなんて私の夫に対する思いをはるかに上回っているではないか!

最高の仕事を極めるために努力を怠らない方たちに夫をお願いして良かったと思った。

若い皆さんが夫の介護を通じて、色々なことを学び成長し続けていることが実感できたのもうれしかった。

Yさんたちが夫の介護を通じて「入居者の存在価値を見つけ出す難しさ」を感じていることにも感激した。

それは私自身が夫の介護をしていた時にも日々感じていたことでもあったからである。

一度看護士さんと夫の状態について話しているときに、看護士さんが思わず

「なんだか切ないですね。」と私におっしゃられたことがあった。

結婚式に夫が参加している写真をみたらスタッフの皆さんはみな涙を流して「良かったね」と言い合ったそうだ。

たとえ家族でなくても、仕事として介護を行っているのであっても、スタッフさんと私たち家族とは

夫に対する思いが共有できる関係を築くことができた。 

この発表を通じて、老人ホームでも工夫次第で若年性アルツハイマーを受け入れることができると

皆さんが思ってくれたら良いなぁ....。

 もちろん一番良いのは、若年性アルツハイマー専門の介護施設が出来ることだけど・・。

 
ここまで書いたらスタッフさんからの速報がラインで入ってきた。
 
 Yさんの発表は見事に優秀賞をいただいたそうです。

 仕事の間をぬって原稿とパワーポイントを作成し何回もリハーサルをしたスタッフの皆さんの努力が報われて良かった!

 スタッフの皆さんおめでとうございます。


テーマ : ポジティブでいこう!
ジャンル : 心と身体

プロフィール

ルッコラ

Author:ルッコラ
ルッコラとバジルが大好きです。
家族は夫と娘二人と黒いフレンチブルドッグのラッキー君。
2009年に若年性アルツハイマーと診断された夫は在宅介護と認知症専門病院の入院を経て、現在は有料老人ホームにいます。介護は初心者なので、どうぞ感想やアドバイスをお願いいたします。

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