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東京タワー

日曜日、明日誕生日を迎える夫に会いに行った。

夫の墓は東京タワーの真下にあるお寺に設けた。

東京タワー


夫と東京タワーは同じ昭和33年(1958年)生まれである。

共に高度経済成長やオリンピックに沸く東京で幼少期を過ごし、今年で63歳の誕生日を迎える。

初めて寺に訪れた時、温かい赤と白のツートンカラーの東京タワーを仰ぎながら、

「このお寺にしたら東京タワーが彼と私をつないでくれるかも。」という妄想をめぐらせ、ここにしようと決めた。

妄想の一部を紹介すると、

  東京スカイツリーが東京タワーに代わって電波塔の主役の座に就いた時、

  神様は東京タワーに「隠居生活はまだ早い」と

  これからは陰界のネットワーク基地として活躍するように命令した。

  だから私の思いは東京タワーを経由して彼に届くはず。

  彼らは同い年のよしみで話も合って仲良くなるんじゃないかな・・・。

まあ要するに「これならお参りもリモートできるじゃん。」と思いたかったのです。

というわけで、今の私は夜のランニングをするたびに歩道橋の上から見えるライトアップした東京タワーに向かって

「おーいこっちは元気だよ―。」と毎回手を振ってメッセージを送っている。

東京タワーは「あんたの奥さん走りすぎじゃないか」といいながら彼に転送してくれているのではないかな。


緊急事態宣言下の都心の日曜日は、車も人通りもまばらで、凛とした静けさに包まれている。

墓参りのついでに青空に映える東京タワーを眺めながら寺が点在する芝公園をのんびり散策した。

一帯は思いの外自然が豊かで、ほころびかけた河津桜には沢山のメジロが集まって花の蜜を美味しそうに吸っている。

寺の近くの池には小魚が春を感じて気持ちよさそうに泳いでいる。

彼が好きそうな散歩道が近くにあって良かった。

昨年に完成したばかりの夫の墓に着く。

墓石には彼と私の名と娘がデザインしたラッキー君のイラストが刻まれている。

(といってもラッキー君は相変わらず元気で当分お墓に入りそうにないが)

夫の墓にはすでにきれいな春の花が供えられていた。

彼の誕生日を覚えていて、会いに来た下さった方がいることに胸がいっぱいになる。

そのことを娘たちにlineで伝えるとすぐに、「ありがたいね、誰が来て下さったのかな?」と喜びの反応がきた。

本人がこれを知ったら喜ぶだろうな。

まあ東京タワーが誰が来たのかを彼に教えてくれたのでしょう。

素敵な友達に恵まれた良き人生だったと思う。


夫が旅立って一年。

介護体験を反芻する時間もないままコロナ禍でのリモートワーク生活に突入し現在に至っている。

すべての物事は変化し、変化するということだけが不変である。

これは私が好きな『易経』の考えだ。

大きな変化にも小さな変化にも必ず複合的な原因が存在し、その変化によってさらに別の変化が生み出される。

夫が若年性認知症になった我が家の場合は、

彼の病気の進行と子供たちの成人という悲喜こもごもの変化が繰り返されて今日に至った。

まさに「人間万事塞翁が馬」で、悪いことを乗り越えた後は必ずごほうびの良いことがあった。

コロナ禍の現状もこの時代の変化の一つであると思って淡々と受け入れている。


介護の卒業生になった今、改めて11年間の介護生活をふりかえってみると、

辛い体験を通じて多くの学びや気づきを得ることができたと感じる。

一番の学びは、介護を通じて人の心の痛みを理解できる人間になれたことである。

不治の病を患った人の苦しみは、治らないことに対する絶望感だけではない。

彼は死ぬまで家族や社会を煩わせる存在になってしまった己を絶えず責め続けていた。

繊細な心の持ち主の彼は記憶と尊厳を失うことになる未来をどうしても受け入れることができなかった。

今でも時々不穏状態や自傷行為に苦しむ彼が夢に出てくる。

不穏状態の彼に優しく接することができなかった後悔がまだ残っているからなのかもしれない。

不穏状態になったり認知症が進行してからの彼は私と異なる考え方をする異邦人となってしまった。

人間は自分が抱えた困難が大きくなると、つい他者の苦悩に対して不寛容になってしまうことを介護を通じて学んだ。

これからは常に人の心の痛みを受け入れ、他者に対しても優しく手を差し伸べることができる人間でありたい。


介護生活は私の生き方そのものを変えたと思う。

働きながらの介護生活は、毎日をつつがなく過ごすことで精いっぱいで、

「更に高みをめざそう」とか「やりがいのある仕事につこう」等を考える余裕はなかった。

与えられた仕事を人に迷惑をかけないようにこなしていくだけの日々を送り、

唯一の楽しみが休日に夫のお世話になっている施設を訪れることだった。

と書くと当時の私が暗い生活を過ごしていたように思われてしまうが全くそうではなく

いつ訪れても笑顔で迎えて下さるスタッフと天真爛漫な夫がいる施設は、

私に極上の喜びと癒しを与えてくれる最高の居場所であった。

今でも時々施設での行事や会話を懐かしく思い出す。

多くの優しい方々に助けてもらった私たち夫婦は幸せ者だったと思う。

どうやってお世話になった方々に恩返しができるのかを考えながら生きていくのが今後の最大の課題だ。


あと一か月で桜が咲く季節となる。

コロナ禍が収まったら家族全員そろって東京タワーの下でお花見ができたら良いなあと思う。

ラッキー君も連れて行ってあげたいな(笑)。

みなさんも大変な毎日をお過ごしだと思いますが、

どうぞ日常生活の中から沢山の楽しみを見つけて今のコロナ禍を乗り切って下さい。
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コロナ禍の新盆を迎えて

1月6日に亡くなった夫、新盆には我が家にしばらく帰ってきたはずだ。

きっと外に出たら35度を超える暑さにびっくりして、さらに

「なんで夏なのにみんなマスクしているの?」

と不思議に思っただろう。

この半年で地上が大きく変わってしまったことをどう説明しようか。

IMG_1019 1


機微に聡い彼らしい去り方だったのかなと思う。

1月中旬の告別式の後、すぐに世界中の人々がコロナ禍の濁流に巻き込まれた。

彼が数か月お世話になった病院は現在も面会中止の状態が続いているらしい。

「僕の延命治療のためにベッドを使うことはないから。」と譲ったのかな。

一番身近な存在の人が消える喪失感は、小説や映画で語りつくされているから理解できる気分でいた。

それでも、いざ自分がその主人公になってみると、外からうかがえる感情と実際に内側から湧き出る思いとの違いを

つぶさに実感した。
 
亡くなってからの一か月は、彼の存在を消去する手続きに追われる日々が続いた。

根気よく手続きを行うことで彼に紐づけされたことがらや人間関係が徐々に消えていき

春からの我が家は私がリモートワークをする専用空間となった。

家族にとって非常に重くて長かった劇が終わった。

本当は家族で少し余韻に浸りたかった。

でも現実にはバタバタと後片付けをしてからすぐにメンバーが異なる新しい劇に参加することになった。

その劇もなかなか大変で、大変な出来事が次々と起こってくる。

いつ終わるかわからない暗くなりがちな今の劇では、とにかく元気で明るくふるまうことが大切

と思って、最近は夜のランニングを復活しています。


多くの方が夫を亡くした私に沢山の慰めや励ましの言葉をかけて下さった。

その中で一番私をとまどわせたのが

「それでは随分お寂しいでしょう。」

と一人暮らしの私を気遣う言葉である。

これってどう答えるのが正解なのであろう。

「いいえ、寂しくないです。」

と言うと薄情な女に思われてしまいそうなので、

「はい。」

と答えるようにしているが、家族と同居していないから「寂しくて可哀想」と同情されることには違和感を感じる。

私はどちらかというと一人でいるのを好む性格である。

一人でいることが苦痛でもなく、旅をすること、本を思いっきり読むこと、走ること、音楽を聴くこと、

山を登ること、お寺で御朱印をいただくこと・・自由時間にやりたいことのほとんどが一人で出来ることだ。

私の職場の女性の場合。半数が独身か子供がいない夫婦である。

彼女たちの生活のクオリティが子供がいる夫婦に劣ると思ったことはない。

こうして家族に依存しないで自分でやるべきことを作っていく一人暮らしの体験も悪くないかなと思っている。


我が旦那様、今ごろ牛に乗ってのんびり天国に戻っているのかしら。

「こんなに暑いとラッキーがかわいそうだから。」といって一日中寝ているラッキーを連れて帰らなくて良かった。

天国には旦那様が大好きな先生方が大勢いらっしゃるので寂しくないかなと妄想している。

IMG_1017 1

ぼくはまだ天国に行かないよ。(脳腫瘍は消えたらしい・・)


こうして旦那様は我が家から去っていってしまったが、今も私の中にいつも一緒にいる。

散歩、サンダル、ざるそば、ひまわり、せっけん、入道雲、・・・

世の中は彼との思い出を彷彿させるキーワードに満ち溢れている。

何を見ても「そういえばあんなこともあった。」とセピア色になりかけた出来事を思いだしている。

1人で自立した生活を送っていると偉ぶってはみたが、結局のところ私の行動基準の大半は、

「その行動が大好きだった夫や両親に承認してもらえるか」という点にあるように思う。

逆に「あーあ、こんなの買ったらあの方たちからバカにされるだろうな。」

と思って趣味の悪い安物の日用品や洋服を買い控えるときもある。

というわけで、わが旦那様は私たち家族の生活規範を程よく監視する、君臨すれども統治せず的な蔭の大黒柱として

いまなお大活躍中である。

家族という絆は色々な形に変わりながら繋がり続けるものだと思う。

現在ご家族の介護に苦労されている方も、どんな変化があっても家族の繋がりは保てることを信じて、

あまり無理をなさらないで今年の酷暑を乗り切って下さい。

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このブログを訪問された皆様へ

「若年性アルツハイマー」で検索して当ブログに来られた方へ


51歳で若年性アルツハイマーを患った夫の11年間を徒然なるまに書きつづったブログです。

夫の11年間の病歴とブログに書いた内容のキーワードをざっくりと記しますので、
.
ご自分が知りたい記事を探す時の目安にして下さい。


2009年   K病院で若年性アルツハイマーを宣告。 

2010年  半年で休職して自宅介護を始める。
                 (病気を受け入れられずに苦しむ)

2011年  治験参加。書くことが苦手に。
                 傷病手当金の給付

2012年  要介護1精神状態の悪化で治験中止、
                  不穏状態、自殺願望、受診拒否 
     精神障碍者手帳、自立支援医療受給者証の交付、

2013年  若年性認知症用デイサービスに通うが一か月で挫折、退職 
     公的介護利用を全て拒否、家に引きこもる 介護者が体調不良に
     J病院に検査入院(10月)、認知症専門病院に転院 

2014年  有料老人ホームに入居(6月) 穏やかな毎日を過ごす。 、

2015年  要介護3 病状が少しずつ進行する。 意思疎通が不自由に。 
      
2016年  要介護4 娘の結婚式に参加

2018年  自宅で還暦祝い 食事介助が必要 会話での意思疎通が困難

2019年   要介護5 肺炎で入院(4月)  8月再入院。肺がん、気胸の発症 
      経鼻栄養 寝たきり状態 

2020年   認知症と肺がんの進行により永眠      


本人と介護者が一番辛かったのは、不穏状態が激しかった初期から中期までと

急に寝たきりになってしまった終末期の時です。

50歳代の働き盛りの男性が突然認知症を宣告されて、職場を離れて自宅療養することになった

とまどいや苦悩を家族の立場からつぶやきました。

家族が病気になって学んだこと、楽しかったことや、素敵な出会いも色々ありました。

このブログが若年性認知症になってしまった方に対してどう接したら良いのかを考える手助けとして

少しでもお役にたてば良いかな~と思っています。


  2020年2月17日 ルッコラ





テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

介護の卒業にあたって


夫が旅立ってからちょうど一か月の日に、立派な花束が我が家に届いた。


はな


送り主は夫が発病してからもよく家に遊びに来てくれて、このブログでも何度も登場した

例の(笑)高校時代の愉快なチョイ悪仲間たちである。

さっそくラインで娘たちに見せてあげると

「すごく立派なお花だね、それにしても一か月すごく早かったなあ。」

「アッという間だったー。」

とすぐにコメントが返ってきた。

確かに親子共に怒涛の一か月を一気に駆け抜けた感がある。

夫が亡くなった翌日も仕事に行き、結局一日も忌引を取れず、

仕事の合間に葬儀社や役所や銀行に連絡をする毎日が続いた。

実は告別式の二週間後には以前から決まっていた姪っ子の結婚式にも留袖を着て笑顔で参列した。

忌中のしきたりを色々と破ったので、死後は地獄の底で閻魔様に厳しい刑罰を受けることを覚悟している。

忌中破りの件も含めて、私は夫に手抜きのダメダメ介護をしてしまったと大いに反省している。

病気の初期段階では、すぐに不穏状態になって家族に怒り出す夫に向き合うのが怖くて、

あるときは仕事に逃げ、ある時はランニングに逃げた。

終末期では、飄々とした自由な雰囲気が似合う彼に、無粋な身体拘束や

絶食状態でのカテーテルの長期装着を認めてしまい、最後に辛い思いをさせてしまった。

私の11年間の介護、自己採点したらせいぜい40点くらいかな。

彼に合った良い施設を見つけることができたのが、私の介護で一番評価できる点かもしれない。

「よくやった」とお世辞でほめたり、あれこれ慰めて下さる方もいらっしゃるが、

他人の目はごまかせても、自分の気持ちはごまかせない。

「もっと一緒に美術館や公園に行けばよかった。」

「もっと家で高い牛肉ですき焼きをしてあげればよかった。」

「もっときちんと話を聞いてあげたら良かった。」

反省すべきことが涙と共に無限に湧き上がる。

でも、こうしてお友達が贈ってくださった百合の花の優しい香りにずっと包まれていると、

自分を責めたくなる気持ちが次第に和らいできて

「まあ介護の出来不出来にいつまでもこだわる必要もないのかな」

という気持ちが次第に芽生えてきた。

「○○君への感謝をこめて 友人一同」

というカードが添えられた清らかな花束を見ていると、さっぱりとした身なりをして

親しい友人や同僚との洒脱な会話を楽しむ彼の面目躍如たる姿が目に浮かぶ。

認知症になって言葉も知識も失っても、彼の存在を大切に思い続けてくれる仲間がいた。

それこそが彼の真骨頂なのであって、彼の価値は決して私の介護の出来不出来

によって上がったり下がったりするものではないと強く思う。

私の夫は、医療や介護の達成度を世間から評価されるために生かされるべき人ではない。

彼の素敵だった人生を振り返ったときに、認知症に翻弄された11年間は、おそらく

そっと早回しをして短く語る配慮が必要な時期なのではないか。

やむを得ず結んだ私と夫との介護ー被介護の関係を無事に解消することができた。

だから、これからは夫のことを理想の男性として思いっきり美化して思い描くことにしよう。

「私の旦那様はイケメンでやさしくて、私たち家族に人として一番大切なことが何かを教えてくれて、

全人類と全動物から愛されました。」

なーんて思いっきりみんなに絶賛しているうちに

「将来こんなに佐藤健並みに尊い男性と永遠に無邪気なラッキー君と一緒にお墓に入れるなんて

自分は何て幸せな人間なんだろう」、と心の底から思えるようになってきた。

私の介護は40点だけれども、彼の人生には100点満点をつけてあげたい。、

そして本人にとっては他人に知られたくない不本意な辛い毎日を本人に内緒で他人に報告して

し続けたことを天国の夫に詫びつつ、本ブログを今回にて無事終了としたいと思います。


最後に私が諸子百家の中で一番好きな、荘子のあるくだりを紹介して

私の今の心境とかえさせていただきたいと思います。

****************

荘子の弁論の好敵手であった恵子が、荘子の妻の死の報に接して弔問に行くと、

荘子は胡坐をかき、土の盆をたたいて歌っていました。

 あきれる恵子に荘子は言います

「はじめは悲しかったけれど、命というもののそもそもの始まりを考えてみれば、

もともとおぼろでとらえどころのない状態でまじりあっていたわけだ。

それがやがて変化して気ができ、全てが変化して形が出来て、

その形が変化して生命が出来た。

それが今変化して死へと帰っていく。

いわば四季の巡りと同じで、妻は天地という大きな部屋で

安らかに眠ろうとしているんだよ。

それが命の道理だし、だから大声を張り上げて泣くのはやめたんだ。」

(NHK出版 荘子 玄侑宗久著より)

******************

もちろん荘子だって大いに悲しかったのだと思う。

でも死という現象を自然界における道理の一つに過ぎないと言うことによって、

親族の死を深く長く悲しむ行為が尊ばれる当時の世間の風潮に一石を投じたかったのであろう。

私は荘子の様にあぐらをかいて歌うことは不得意なので、

かわりに今日から10キロランを再開した。

公園では2012年2月にこのブログで書き綴った来年の蠟梅の時と同じ蠟梅や河津桜の花が咲いていて、着実な四季の巡りを感じ取ることができた。

蠟梅

河津さくら



脳腫瘍のラッキー君は相変わらず絶好調、夫の代わりに沢山ご飯を食べて丸々太っている。

ラッキー君、今回お世話になった近所の葬儀社のお兄さんと大の仲良しになったのです(笑)、


拙い私のブログに長年お付き合い下さり、本当にありがとうございました。

今までのコメントの総数が1657件、暖かい皆様のコメントに励まされて今日まで続けることができました、

お陰様で私は両親、義父母、夫の介護を卒業することができました。

現在も介護に向き合っていらっしゃる皆様は、どうぞ自分の心と身体を大切にして

悲しいことは早送りにして、楽しい介護生活をお送りください。

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お父さん お疲れさまでした

昨日、夫の告別式を無事終えることができた。

夫は大学の教員でした。

2010年に大学を離れてから10年目。

高校、大学時代の友達、教員時代の同僚、教え子、施設でお世話になったスタッフの皆さん.等

100名あまりの方が通夜に夫に会いに来てくださった。

夫が高校時代に演劇部に所属していたことを、供花のお札を見て初めて知った(笑)

私と夫は大学1年生の語学クラスで知り合った。

友達の関係から恋人の関係になり、やがて夫婦の関係となった。

11年前からは介護者と被介護者という関係にもなってしまった。

40年以上こんなに密接な関係を結んでいるのだから、

私が彼の全てを知り尽くしていたのかというと

決してそんなことはないわけで、

私が参加していない彼との思い出がたくさんあり、

その思い出を心の中に長い間大切にしまっている方が沢山いらっしゃる

ことがわかって、何だかとってもうれしかった。

(あっこれは別に彼の愛人や隠し子がいっぱい来たっていう意味ではないです)

多くの方が私に夫との心温まるエピソードを涙ぐみながら教えて下さった。

夫への長い手紙を私に渡してくださった方もいた。


発病後、自己肯定感の低下に苦しみ、己をののしりながら壁に頭をぶつけていた夫

閉ざされた狭い空間で毎日を過ごし、お金を持つことも自由に外出することも許されなった夫


自分のお葬式にこんなに沢山の方が来て下さって、彼の人柄や仕事ぶりをほめていたことを

知ったらすごく喜んで少しは自信を取り戻せたのになあ、と思う。

「自分のお葬式は見ることができない」のが人生のお約束事なのだから、こればっかりは仕方がないのだが。

その代わりに、私と娘たちがお褒めの言葉を頂戴して、

「お父さんすごい。」ってちょっぴり有頂天になることができました。


 お世話になったS施設からもスタッフさんが5人も会いに来てくださった。

私たちが式場にS施設での夫の写真を沢山飾ったことをとても喜んでくださった。

「だって、S施設での夫の写真がどれもこれも本当に心から楽しそうな顔をしているから、

沢山飾っちゃったんですよ!」

と言いながら、写真を見ながら思い出話に花を咲かせた。

もうS施設に行く用事がなくなってしまったと思うととても寂しい。



介護は私たち家族に沢山の良き出会いや学びの場を与えてくれたように思う。

辛いこともたくさんあったけれども、今思い出すことは楽しい思い出ばかり。

辛かったことはこの際全て忘れてしまおうと思う。


小さくなって帰ってきたお父さん。これからも私たちをしっかり見守って下さいね。

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プロフィール

ルッコラ

Author:ルッコラ
ルッコラとバジルと走ることが大好きです。
家族は夫と娘二人と黒いフレンチブルドッグのラッキー君。
2009年に若年性アルツハイマーと診断された夫は、在宅介護と認知症専門病院の入院を経て、有料老人ホームで穏やかな療養生活を過ごしていましたが、2020年の1月に肺がんで永眠しました。
11年間の介護生活で大変だったことや、楽しかったことを綴っています。

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