2021.02.19(Fri)
日曜日、明日誕生日を迎える夫に会いに行った。
夫の墓は東京タワーの真下にあるお寺に設けた。

夫と東京タワーは同じ昭和33年(1958年)生まれである。
共に高度経済成長やオリンピックに沸く東京で幼少期を過ごし、今年で63歳の誕生日を迎える。
初めて寺に訪れた時、温かい赤と白のツートンカラーの東京タワーを仰ぎながら、
「このお寺にしたら東京タワーが彼と私をつないでくれるかも。」という妄想をめぐらせ、ここにしようと決めた。
妄想の一部を紹介すると、
東京スカイツリーが東京タワーに代わって電波塔の主役の座に就いた時、
神様は東京タワーに「隠居生活はまだ早い」と
これからは陰界のネットワーク基地として活躍するように命令した。
だから私の思いは東京タワーを経由して彼に届くはず。
彼らは同い年のよしみで話も合って仲良くなるんじゃないかな・・・。
まあ要するに「これならお参りもリモートできるじゃん。」と思いたかったのです。
というわけで、今の私は夜のランニングをするたびに歩道橋の上から見えるライトアップした東京タワーに向かって
「おーいこっちは元気だよ―。」と毎回手を振ってメッセージを送っている。
東京タワーは「あんたの奥さん走りすぎじゃないか」といいながら彼に転送してくれているのではないかな。
緊急事態宣言下の都心の日曜日は、車も人通りもまばらで、凛とした静けさに包まれている。
墓参りのついでに青空に映える東京タワーを眺めながら寺が点在する芝公園をのんびり散策した。
一帯は思いの外自然が豊かで、ほころびかけた河津桜には沢山のメジロが集まって花の蜜を美味しそうに吸っている。
寺の近くの池には小魚が春を感じて気持ちよさそうに泳いでいる。
彼が好きそうな散歩道が近くにあって良かった。
昨年に完成したばかりの夫の墓に着く。
墓石には彼と私の名と娘がデザインしたラッキー君のイラストが刻まれている。
(といってもラッキー君は相変わらず元気で当分お墓に入りそうにないが)
夫の墓にはすでにきれいな春の花が供えられていた。
彼の誕生日を覚えていて、会いに来た下さった方がいることに胸がいっぱいになる。
そのことを娘たちにlineで伝えるとすぐに、「ありがたいね、誰が来て下さったのかな?」と喜びの反応がきた。
本人がこれを知ったら喜ぶだろうな。
まあ東京タワーが誰が来たのかを彼に教えてくれたのでしょう。
素敵な友達に恵まれた良き人生だったと思う。
夫が旅立って一年。
介護体験を反芻する時間もないままコロナ禍でのリモートワーク生活に突入し現在に至っている。
すべての物事は変化し、変化するということだけが不変である。
これは私が好きな『易経』の考えだ。
大きな変化にも小さな変化にも必ず複合的な原因が存在し、その変化によってさらに別の変化が生み出される。
夫が若年性認知症になった我が家の場合は、
彼の病気の進行と子供たちの成人という悲喜こもごもの変化が繰り返されて今日に至った。
まさに「人間万事塞翁が馬」で、悪いことを乗り越えた後は必ずごほうびの良いことがあった。
コロナ禍の現状もこの時代の変化の一つであると思って淡々と受け入れている。
介護の卒業生になった今、改めて11年間の介護生活をふりかえってみると、
辛い体験を通じて多くの学びや気づきを得ることができたと感じる。
一番の学びは、介護を通じて人の心の痛みを理解できる人間になれたことである。
不治の病を患った人の苦しみは、治らないことに対する絶望感だけではない。
彼は死ぬまで家族や社会を煩わせる存在になってしまった己を絶えず責め続けていた。
繊細な心の持ち主の彼は記憶と尊厳を失うことになる未来をどうしても受け入れることができなかった。
今でも時々不穏状態や自傷行為に苦しむ彼が夢に出てくる。
不穏状態の彼に優しく接することができなかった後悔がまだ残っているからなのかもしれない。
不穏状態になったり認知症が進行してからの彼は私と異なる考え方をする異邦人となってしまった。
人間は自分が抱えた困難が大きくなると、つい他者の苦悩に対して不寛容になってしまうことを介護を通じて学んだ。
これからは常に人の心の痛みを受け入れ、他者に対しても優しく手を差し伸べることができる人間でありたい。
介護生活は私の生き方そのものを変えたと思う。
働きながらの介護生活は、毎日をつつがなく過ごすことで精いっぱいで、
「更に高みをめざそう」とか「やりがいのある仕事につこう」等を考える余裕はなかった。
与えられた仕事を人に迷惑をかけないようにこなしていくだけの日々を送り、
唯一の楽しみが休日に夫のお世話になっている施設を訪れることだった。
と書くと当時の私が暗い生活を過ごしていたように思われてしまうが全くそうではなく
いつ訪れても笑顔で迎えて下さるスタッフと天真爛漫な夫がいる施設は、
私に極上の喜びと癒しを与えてくれる最高の居場所であった。
今でも時々施設での行事や会話を懐かしく思い出す。
多くの優しい方々に助けてもらった私たち夫婦は幸せ者だったと思う。
どうやってお世話になった方々に恩返しができるのかを考えながら生きていくのが今後の最大の課題だ。
あと一か月で桜が咲く季節となる。
コロナ禍が収まったら家族全員そろって東京タワーの下でお花見ができたら良いなあと思う。
ラッキー君も連れて行ってあげたいな(笑)。
みなさんも大変な毎日をお過ごしだと思いますが、
どうぞ日常生活の中から沢山の楽しみを見つけて今のコロナ禍を乗り切って下さい。
夫の墓は東京タワーの真下にあるお寺に設けた。

夫と東京タワーは同じ昭和33年(1958年)生まれである。
共に高度経済成長やオリンピックに沸く東京で幼少期を過ごし、今年で63歳の誕生日を迎える。
初めて寺に訪れた時、温かい赤と白のツートンカラーの東京タワーを仰ぎながら、
「このお寺にしたら東京タワーが彼と私をつないでくれるかも。」という妄想をめぐらせ、ここにしようと決めた。
妄想の一部を紹介すると、
東京スカイツリーが東京タワーに代わって電波塔の主役の座に就いた時、
神様は東京タワーに「隠居生活はまだ早い」と
これからは陰界のネットワーク基地として活躍するように命令した。
だから私の思いは東京タワーを経由して彼に届くはず。
彼らは同い年のよしみで話も合って仲良くなるんじゃないかな・・・。
まあ要するに「これならお参りもリモートできるじゃん。」と思いたかったのです。
というわけで、今の私は夜のランニングをするたびに歩道橋の上から見えるライトアップした東京タワーに向かって
「おーいこっちは元気だよ―。」と毎回手を振ってメッセージを送っている。
東京タワーは「あんたの奥さん走りすぎじゃないか」といいながら彼に転送してくれているのではないかな。
緊急事態宣言下の都心の日曜日は、車も人通りもまばらで、凛とした静けさに包まれている。
墓参りのついでに青空に映える東京タワーを眺めながら寺が点在する芝公園をのんびり散策した。
一帯は思いの外自然が豊かで、ほころびかけた河津桜には沢山のメジロが集まって花の蜜を美味しそうに吸っている。
寺の近くの池には小魚が春を感じて気持ちよさそうに泳いでいる。
彼が好きそうな散歩道が近くにあって良かった。
昨年に完成したばかりの夫の墓に着く。
墓石には彼と私の名と娘がデザインしたラッキー君のイラストが刻まれている。
(といってもラッキー君は相変わらず元気で当分お墓に入りそうにないが)
夫の墓にはすでにきれいな春の花が供えられていた。
彼の誕生日を覚えていて、会いに来た下さった方がいることに胸がいっぱいになる。
そのことを娘たちにlineで伝えるとすぐに、「ありがたいね、誰が来て下さったのかな?」と喜びの反応がきた。
本人がこれを知ったら喜ぶだろうな。
まあ東京タワーが誰が来たのかを彼に教えてくれたのでしょう。
素敵な友達に恵まれた良き人生だったと思う。
夫が旅立って一年。
介護体験を反芻する時間もないままコロナ禍でのリモートワーク生活に突入し現在に至っている。
すべての物事は変化し、変化するということだけが不変である。
これは私が好きな『易経』の考えだ。
大きな変化にも小さな変化にも必ず複合的な原因が存在し、その変化によってさらに別の変化が生み出される。
夫が若年性認知症になった我が家の場合は、
彼の病気の進行と子供たちの成人という悲喜こもごもの変化が繰り返されて今日に至った。
まさに「人間万事塞翁が馬」で、悪いことを乗り越えた後は必ずごほうびの良いことがあった。
コロナ禍の現状もこの時代の変化の一つであると思って淡々と受け入れている。
介護の卒業生になった今、改めて11年間の介護生活をふりかえってみると、
辛い体験を通じて多くの学びや気づきを得ることができたと感じる。
一番の学びは、介護を通じて人の心の痛みを理解できる人間になれたことである。
不治の病を患った人の苦しみは、治らないことに対する絶望感だけではない。
彼は死ぬまで家族や社会を煩わせる存在になってしまった己を絶えず責め続けていた。
繊細な心の持ち主の彼は記憶と尊厳を失うことになる未来をどうしても受け入れることができなかった。
今でも時々不穏状態や自傷行為に苦しむ彼が夢に出てくる。
不穏状態の彼に優しく接することができなかった後悔がまだ残っているからなのかもしれない。
不穏状態になったり認知症が進行してからの彼は私と異なる考え方をする異邦人となってしまった。
人間は自分が抱えた困難が大きくなると、つい他者の苦悩に対して不寛容になってしまうことを介護を通じて学んだ。
これからは常に人の心の痛みを受け入れ、他者に対しても優しく手を差し伸べることができる人間でありたい。
介護生活は私の生き方そのものを変えたと思う。
働きながらの介護生活は、毎日をつつがなく過ごすことで精いっぱいで、
「更に高みをめざそう」とか「やりがいのある仕事につこう」等を考える余裕はなかった。
与えられた仕事を人に迷惑をかけないようにこなしていくだけの日々を送り、
唯一の楽しみが休日に夫のお世話になっている施設を訪れることだった。
と書くと当時の私が暗い生活を過ごしていたように思われてしまうが全くそうではなく
いつ訪れても笑顔で迎えて下さるスタッフと天真爛漫な夫がいる施設は、
私に極上の喜びと癒しを与えてくれる最高の居場所であった。
今でも時々施設での行事や会話を懐かしく思い出す。
多くの優しい方々に助けてもらった私たち夫婦は幸せ者だったと思う。
どうやってお世話になった方々に恩返しができるのかを考えながら生きていくのが今後の最大の課題だ。
あと一か月で桜が咲く季節となる。
コロナ禍が収まったら家族全員そろって東京タワーの下でお花見ができたら良いなあと思う。
ラッキー君も連れて行ってあげたいな(笑)。
みなさんも大変な毎日をお過ごしだと思いますが、
どうぞ日常生活の中から沢山の楽しみを見つけて今のコロナ禍を乗り切って下さい。
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ジャンル : 心と身体